
お久しぶりです。
しばらくLaurent Theis の Guizot. La traversée d’un siècle からの引用のみで、一言のコメントさえないどころか、出典表示さえありませんでした。翻訳にところどころ補足を加えたり、逆に端折ったところもあるので、それをいちいち断るのも面倒だったので、何も表示しませんでした。
今日の午前中にようやく、修士課程責任者として先月末からずっと抱えていた重要案件、来年度修士進学志望者106名の願書の審査、合否判定、合格者の順位づけという一連の作業に一応区切りがついたので、ぼちぼちとつぶやきを再開します。
といっても、小人の愚にもつかない御託を並べるよりは、上掲書からの摘録のほうが私自身にとっては有益ですし、どなたかに興味をもっていただけるかもしれないし、もしかしたら何かのお役に立つかも知れないというかすかな希望もありますので、今しばらくは、同書からの摘録を継続します。ですので、記事のタイトルから「クウォート・オンリー・モード」という表現は外しますが、実質的には引用および要約が主になる記事が続きます。
さて、今日から摘録を開始する第4章L’historien dans ses œuvres は、歴史家としてのギゾーをテーマとしており、私がもっとも強い関心をもっている主題ですので、章全体にわたって紹介したいと思います。今日のところは、以下にその章の冒頭の導入的な段落の訳をそのまま掲載します。
フランソワ・ギゾーを最もよく知る二人の女性のうち、最初の女性であるポリーヌ・ド・ムランは、彼と結婚する前の1808年7月に、彼に次のように書き送っている。「あなたの才能は、歴史研究にきわめて適しているように思われます」。そして同年、二人はエドワード・ギボンの名著『ローマ帝国衰亡史』のフランス語新版に取り組み始めた。これが20歳のギゾーにとって最初の歴史研究となった。もう一人の女性、娘のアンリエットは、1874年2月、父の死の数ヶ月前にこう語っている。「歴史こそがお父さまの真の情熱です」。そして二人は、ギゾーの最後の著作となる『孫たちへのフランス史』の第4巻を共に完成させた。このように、ギゾーの歴史家としてのキャリアは65年以上にわたり、画期的な数多くの著作によって彩られており、その中には真に学術的価値を今なお保持するものもある。主に『ヨーロッパ文明史』と『イングランド革命史』が挙げられ、さらに別の次元では、 『私の時代の歴史に資する回想録』全8巻が挙げられる。これは、リシュリューの『政治的遺言』やド・ゴール将軍の『戦争回想録』に並ぶ、数少ない名高い「国家回想録」の部類に属するものである。
この箇所を読んだだけでも、ギゾーがいかに傑出した歴史家であったかがわかります。早くも二十歳にして頭角を現し、24歳にしてソルボンヌに創設された近代史講座を担当することになります。その経緯は明日の記事で紹介しましょう。