内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

ルイ・ラヴェルにおける哲学的直観 ― この上なく単純で鋭い「私の記憶の中に残る最も古い感情」

 

 ルイ・ラヴェルは、第一次世界大戦従軍中及び戦争捕虜として収容所で終戦まで過ごした1915年から1918年まで、小さな手帳に日々の思索を書きつけていた。それらは Carnets de guerre 1915-1918 というタイトルで1985年にカナダとフランスで出版された(Québec : Les Éditions du Beffroi; Paris : Société d’Édition Les Belles-Lettres)。この原本は現在入手が困難だが、他のラベルの諸著作と同様、こちらのサイト Louis LAVELLE  (1883-1951), CARNETS DE GUERRE 1915-1918 からWORD版や PDF版 を無料でダウンロードできる。
 この戦争手記の出版は、ラベルの二人の娘の同意を得て実現されたもので、この二人連名のラベル小伝が本書の巻頭に置かれている。ラヴェルの知遇を得た同時代人たちによる回想は、たとえ興味深い細部を含んでいるとしても、ラベルの生涯のある特定の時期とエピソードに限定されているのに対して、この小伝はラベルの生涯全般についてもっとも詳しくかつ正確な情報を含んでいる。
 この小伝のなかにも、一昨日昨日の記事でも引用したラジオ対談からの引用がある。その中にはラベル論でしばしば言及される箇所が含まれているが、その前後もかなり長く引かれている。その全文を読んでみよう。

Les seules choses qui m’aient jamais intéressé, ce sont, non pas les connaissances que nous pouvons apprendre et qui renouvellent sans cesse notre curiosité, mais les sentiments qui nous découvrent à nous-même et les relations vivantes qui nous unissent aux êtres qui nous entourent. Aujourd’hui encore je pense que c’est là la véritable réalité dont la vie est faite. Peut-être faut-il dire que la pensée philosophique n’est elle-même rien de plus que l’approfondissement d’une certaine émotion que la vie nous donne, dont l’intensité varie, mais qui ne nous quitte jamais. Or l’émotion la plus ancienne que je retrouve dans mes souvenirs est d’une extrême simplicité mais d’une extrême acuité : c’est celle de faire partie du monde, non pas seulement comme une chose parmi des choses, mais comme un être qui peut dire moi, qui dispose d’une initiative qui lui est propre et qui, par l’usage qu’il en fait, est capable de changer le monde. La simple possibilité de remuer le petit doigt m’est apparue de très bonne heure comme un miracle perpétuel : c’est une expérience que je recommençais toujours avec le même émerveillement. Elle faisait naître en moi cette certitude qui n’a jamais cessé ensuite de se confirmer et de s’éprouver pendant ma vie tout entière, c’est que la réalité, au lieu de s’écouler et de se dissiper dans le temps, est toujours actuelle et présente, qu’il ne faut la chercher ni en arrière ni en avant de nous, mais là où nous sommes et dans l’instant où nous agissons. Alors elle s’offre à nous avec une extraordinaire plénitude pourvu que nous ayons assez de simplicité et de courage pour oser la regarder en face et en prendre possession.

 

私がこれまで絶えず興味を持ってきたのは、私たちの好奇心を絶えず掻き立てる学び得る知識ではなく、自分自身を発見させてくれる感情や、周囲の人々と私たちを結びつける生きた関係だけです。今日でもなお、私はそれこそが人生を構成する真の現実であると考えています。おそらく、哲学的思考そのものも、人生が私たちに与えてくれるある種の感情の深化に他ならない、と言うべきなのでしょう。その感情の強度は変化するものの、決して私たちから離れることはありません。私の記憶の中に残る最も古い感情は、きわめて単純でありながら、きわめて鋭いものです。それは、世界の一部であるという感覚です。単なる「物」の一つとしてではなく、「私」と言うことのできる存在として、自ら始めることができるという自分独自の自発性を持ち、その自発性を用いて世界を変えることのできる存在として、世界の一部であるという感覚です。小指を動かすという単純な行為さえも、私にとってはごく早い時期から、絶え間ない奇跡のように思えていました。それは、私がいつも同じ驚きをもって繰り返し体験していることです。それは私の中に、その後生涯を通じて絶えず裏づけられ、実感され続ける確信を生み出しました。それは、現実とは、時間の中で流れ去り消え失せるものではなく、常に現在にあり、ここにあるものであり、それを私たちの過去や未来に求めるのではなく、私たちが今いる場所、そして行動するその瞬間にこそ見出さなければならない、という確信です。そうすれば、私たちがそれを直視し、自らのものにするのに十分な素直さと勇気さえ持っていれば、現実はこの上もないほどの豊かさをもって私たちにその姿を現してくれるのです。

 1938年にこう語ったときのラヴェルは五十五歳である。この哲学的直観は1951年9月1日に亡くなるまで揺らぐことがなかった。昨日の記事の終わりに「オプティミズム」という言葉を使ったのはこの意味であって、それは現実から目を背けた安易な楽観主義とは何の関係もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きる勇気を与えてくれるラヴェル哲学

 

 昨日の記事で引用した1938年2月15日に放送されたラジオ対談で、ラヴェルは自らの哲学について率直に平明な言葉で語っている。ラヴェルの著作の文章は、一般読者向けのエッセイであっても洗練された文体で、その美しさを日本語に移す(あるいは映す)のはなかなか難しい。その点、一般リスナー向けの対談は話し言葉だからその分訳しやすい。
 昨日の引用は Sébastien Robert の La philosophie de Louis Lavelle. Liberté et participation(本書は著者が二十二、三歳のときに書いた修士論文だが、今日でも数少ないラヴェル研究の一書として貴重である)からの孫引きだったが、今日も同書からの孫引きである。
 ラヴェルは世界が視覚に表象として与えられることの驚きを次のように語っている。

[J’ai] toujours été frappé par ce fait que la représentation que nous nous faisons du monde est d’abord une représentation visuelle. C’est la vue qui fait du monde un spectacle pour nous : mais elle nous montre les objets à distance, séparés de nous et pourtant en rapport avec nous, ce qui n’est possible que si elle ne donne pas seulement la surface des corps, comme le soutient la thèse classique, mais aussi l’intervalle qui s’ouvre devant nous et porte notre regard jusqu’à eux. Mais un tel intervalle c’est l’atmosphère, à la fois transparente et lumineuse, qui enveloppe le monde et où baignent tous les corps.

 

[私は]、私たちが世界について抱く表象が、まず第一に視覚的なものであるということにずっと心を打たれてきました。視覚が世界を私たちにとって光景としています。視覚は、物体を距離を置いて、私たちから切り離された形で、でもそれらが私たちと関係していることを示しています。これ(引用者注=仮に「離接」と呼んでおく)は、古典的な理論が主張するように、視覚が単に物体の表面を与えるだけでなく、私たちの前に開かれ、私たちの視線を当の物体へと導く間をも与えるからこそ可能となります。このような間とは、世界を包み込み、あらゆる物体が浸っている、透明かつ光り輝く雰囲気にほかなりません。

 このように世界をいわば丸ごと受け取ろうという姿勢においてラヴェルの哲学は終始一貫している。それを食い足りなく思う読者も多いことと思う。しかし、いつまでもどこまでも開示し続ける世界に私たち個々の精神もその働き(acte)において参加(participation)し続けることでその無尽蔵に与るという徹底したオプティミズムは私たちに生きる勇気を与えてはくれないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

孤独と断絶において見出される〈全体〉との絆 ― ルイ・ラヴェルの哲学の核心に触れる言葉

 

 昨日に続き、ルイ・ラヴェルの哲学の核心に触れる言葉を拾っておきたい。今日は、二つのテキストを引く。昨日のテキストのように長くはないので、原文をまず掲げ、それに日本語訳を付す。

La solitude, c’est de sentir en soi la présence d’une puissance qui semble hors d’état de s’exercer, mais qui, dès qu’elle commence à le faire, m’oblige à me réaliser en multipliant mes relations avec moi-même et avec tous les êtres.

Le Mal et la Souffrance, Dominique Martin Morin, 2000, p. 94.

 

孤独とは、遂行できない状態にあるように思われる力が自分の内に現前しているのを感じることである。その力は、しかし、遂行され始めるやいなや、私自身やあらゆる存在との関係を増幅させることで私を自己実現へと向かわせずにはおかない。そのような力を自分の内に感じることが孤独である。

 もう一つのテキストは、1938年2月15日に放送されたラジオ対談での発言の記録である。第一次世界大戦中の捕虜収容所での経験はラヴェルの哲学形成にとって決定的な重要性をもっていることがわかる一節である。

L’expérience du combat, d’une mort toujours imminente, la rupture de tous les liens avec les habitudes de la vie familiale et sociale, les conditions exceptionnelles de dépouillement réalisées par la captivité ont, je crois, singulièrement favorisé chez moi, comme chez beaucoup d’hommes de ma génération, cette attention intérieure à soi où la conscience se replie sur elle-même afin de trouver en elle indépendamment de tout autre point d’appui, des ressources capables de lui suffire. Je méditais depuis longtemps cette expérience constitutive de notre vie elle-même, que nous faisons partie d’un tout, avec lequel nous sommes en communication incessante, auquel nous ne cessons de donner, dont nous ne cessons de recevoir.

Frédéric Lefèvre et Louis Lavelle, Radio-dialogue, Radio Paris, 15 février 1938, texte dactylographié, p. 3 et 4, cité dans Sébastien Robert, La philosophie de Louis Lavelle. Liberté et participation, L’Harmattan, 2007.

 

戦闘の経験、常に差し迫った死、そして家庭や社会生活における習慣とのあらゆる絆の断絶、 捕虜生活によってもたらされた極度の剥奪状態は、私の世代の多くの男性たちにおいてと同様に、私に内面へのこの注目を著しく促したのだと思います。そこにおいて、意識は、自分自身へと引き籠もり、他のいかなる支えにも頼ることなく、自らの内から、自らを充足させるに足る資源を見出そうとします。私は長い間、私たちの生そのものを形作るこの経験、つまり、私たちが全体の一部であり、その全体と絶え間なく交わり、絶えず与え、絶えず受け取っているという経験について思索を重ねてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死は肉体の不在をもたらすが、その不在はより純粋な現前を顕にする」― ルイ・ラヴェル『存在について』より

台東区根岸の子規庵

 

 今日の記事は Louis Lavelle, De l’être, Aubier,1947, p. 272-274 の訳のみです。原文はこちらの頁から無料でダウンロードできます。

 不在は相互的なものではない。死によって、私たちが私たちより後に生きるすべての人々にとって不在となるとしても、彼らに対して私たちが失うのは肉体的現前に過ぎない。それどころか、その現前が消失し、再び会う望みがなくなったとき、精神的現前はしばしばより鮮明になる。それは、亡くなった人々への愛の深さに比例する。そうして初めて、肉体的現前はあくまで精神的現前の表れであり象徴に過ぎず、しばしばその代わりを務め、精神的現前を覆い隠していたことに気づく。また、死は、身体間の親密さゆえに私たちが気づかずに済んでいた、あるいは気づくことを妨げられていたこの潜在的現前を、現実のもの、すなわち意識の作用へと変容させる。私たちにとって、愛した死者たちの方が生きている人々よりも近しい。生きている人々との身体的近さは、彼らの現前について私たちを安心させる。私たちは、その現前を自然に任せにしてしまい、内面からその現前に貢献することが常に必要であるとは考えもしなかった。その自然の力が衰弱するやいなや、その必要性が明らかになる。そのときから、彼らの現前を生き生きと保ち続ける責任は私たち自身にのみ課せられる。それゆえ、私たちは、特別な強度で、かつてはほとんど気にも留めなかった、失われた彼らの人生の細部だけでなく、逃してしまった彼らとの交流の機会までも痛感する。彼らの不在の中でしか、その失われた機会の恩恵を味わうがことできない。彼らの死後、いわばその死のおかげで得られる、彼らに対するこのより完全な喜びは、私たちに後悔と、彼らに対する一種の罪悪感を抱かせる。私たちは、彼らを正しく理解できなかったこと、彼らに対してすべての義務を果たせなかったこと、そして、彼らの思いとはこれほどまでに完璧に結びついているにもかかわらず、彼ら自身とはその完全な結びつきを生きている間に実現できなかったことで、自らを責めてしまう。そして、この良心の呵責は、私たちが物質主義的な偏見から完全に解放されていないことを示している。私たちは依然として、彼らの真の本性は、その思いよりもむしろ肉体にこそあったと信じている。しかし、彼らが肉体的生命を生きていた間はずっと、その思いはそれとして引き出されることも、切り離されることもできなかった。その思いは、彼らが徐々にそれを実現しているように見えた一連の状態や出来事の中につねに包みこまれていた。彼らの本性はまだ完成されていなかった。死は、彼らから偶発的かつ一過性なものを剥ぎ取り、私たちに彼らの不変の本性を現前化する。そして、私たちが彼らのこの世での生涯について保つ記憶は、時間の中で彼らの永遠性とすでに触れ合うための一つの手段に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「禁書」解除、「買い惜しみの銭失い」にならないために ― 解禁記念購入書目とこれからの読書計画

 

 9月1日から早速学部新1年生のためのオリエンテーションがあり、私はただその席で一分ほど自己紹介すればいいだけだが、翌日2日はマスターの新学期オリエンテーションがあり、これは私一人で担当する。今回で3回目、話すべきことはすでに頭に入っているので、昨年使ったパワポをちょっと手直しすれば準備完了である。
 授業開始は翌週月曜日7日から。私の担当科目の時間割は昨年とまったく同様で、初回に話す内容は、細部の修正・付加・削除を除けば、昨年と同じでいいので、すくなくとも初回についてはたいした準備も必要ない。
 というわけで、実質後一ヶ月は読書に集中できる。とはいえ、まったく自由気ままな読書というわけではなく、授業及び10月の研究発表の準備としての読書である(真面目なんです)。
 そのため、というのは半分こじつけだが、6月17日から継続していた「禁書」をこの3日に解除した。日本語の書籍に関しては、電子書籍版・紙版いずれについても実にほぼ2ヶ月間、仏語に関しても1月半以上1冊も買わなかった。「あっぱれ」である(誰の共感も得られないと知っています)。
 この個人的には長く記憶に残るであろう「禁書」の解除を記念して、というわけでもないのだが、以下の書籍を3日から今日までに購入した。

① 熊谷晋一郎『当事者研究 等身大の〈わたし〉の発見と回復』、岩波書店、2020年。
② 渡辺浩『たとえば「自由」はリバティか 西洋の基礎概念とその翻訳語をめぐる6つの講義』、岩波書店、2025年。
③ 西村ユミ/熊谷晋一郎[編]『ケアを学ぶ人のために』、世界思想社、2026年。
④ 井上俊輔『忘れられた天才 井上毅』、国書刊行会、2019年。
⑤ 大石眞『井上毅:大僚を動かして、自己の意見を貫けり』、ミネルヴァ書房、2025年。
⑥ Noam Chomsky, Réflexions sur le langage, Flammarion, « Champs essais », 1981.
⑦ Noam Chomsky, Le langage et la pensée, Éditions Payot & Rivage, « Petite Biblio Payot », 2012.
⑧ Heidegger, Kant et le problème de la métaphysique, Gallimard, 2023.
⑨ Louis Lavellle, Panorama des doctrines philosophiques, Éditions localement transcendantes, 2021.

 ①から③までは電子書籍。④と⑤は紙版でアマゾンに発注、速ければ明日、遅くとも来週月曜日までには届くはず。⑥から⑨までは紙版で、⑨のみ配達待ち。
 ①から③までは一昨日同時に読みはじめ、今月中にはすべて読了予定。①と③はマスターの演習関連図書。②は「日本思想史」の後期の参考文献。
 ④と⑤も、「日本思想史」後期の参考文献。それもあるにはあるが、授業とは関わりなく、井上毅についてもっと詳しく知りたくなったということが主たる購入動機である。
 ⑥と⑦は、先日読み終えた互盛央氏の『言語起源論の系譜』(ちくま学芸文庫、2026年)にチョムスキーへの言及があり、言及されている点に関してさらに詳しく知るため。
 ⑧は、10月の研究発表のための参考文献、この発表については後日改めて記事にする。
 ⑨は、ルイ・ラヴェルの著作の網羅的収集の一環。
 ⑧と⑨を繋ぐキーワードは「形而上学」なのだが、これは10月の発表内容と密接に関係している。ルイ・ラヴェルの形而上学については、後日記事にする(多分、連載になる)。
 この発表の準備のため、昨日より、Pierre Aubenque, Le problème de l’être chez Aristote, PUF, 1962 と Jean Ecole, Louis Lavelle et le renouveau de la métaphysique au XXe siècle, Olms, 1997 を同時に読み始める。
 両書ともかねてより所有している。前者は、今でも安価に新本が簡単に入手できる古典的名著だが、後者については、今でも入手できるか調べて吃驚した。アマゾンで中古本に2000€の値が付けられている。私が買ったのは十数年前で、もういくらだったか覚えていないが、確か当時の定価で購入したはずである。これだから、すぐには必要なくても、後日必ず役に立つと直感した本はそのときに買っておくべきなのです。さもないと、「買い惜しみの銭失い」になりますぞ(こんな諺はありません。今、作りました)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立憲政体の要素としての「自治」― 福沢諭吉「国会の前途」より+今回の「自治」小論の結論及び発展的考察の端緒

 

 福沢諭吉は、『時事新報』紙上に1890年12月10日から20日まで計12回にわたり「国会の前途」と題した一連の社説を掲載している。この社説は、2年後には「国会難局の由来」「治安小言」「地租論」の三篇と合わせ一書として刊行されている(こちらのサイトで原本を閲覧・ダウンロードできます)。
 この社説のなかで福沢は「自治」について、「地方自治は古来日本固有の制度にして、国民の之に慣れたること久し」と言う。具体的にはどういうことを指して福沢は「自治」という言葉を使っているのだろうか。渡辺直子氏はそれを次のように要約している。
 「旧幕時代の町村は、政府が干渉することも少なく、庄屋名主などの村役人は民選で、その給料も民費負担であり、年貢の徴収、道路橋梁の普請などは人民の負担で行われた。また五人組という相互扶助の制度があり、七分積金という救恤制度や、火事盗難防止のための自警制度があるなどして、「官」を煩わさなかったという。」
 この見方は井上毅のそれと一致する。両者の違いはどこにあるか。昨日の記事で見たように、井上は、町村を超えた「自治」の拡張は、国家を「民主主義」に導きかねないと危惧していた。ところが、福沢は、「我国民の自治も更に面目を改めて立憲政体の要素たるに毫も愧る所なかる可し」とする。つまり、日本の「自治」は「立憲政体の要素」として十分機能しうると評価しているのである。
 「自治」は旧体制下にも存在したという歴史認識も、「自治」が近代立憲君主制下でもその要素として機能しうるという政治認識も、今日その妥当性を無条件に認めることはもちろんできない。
 幕藩体制下であれ、近代立憲君主制下であれ、「自治」は、「上」から許容あるいは課された「自己責任」の領分であり、自らの生活を守り、自らの権利を擁護する民衆自身の「下」からの自発的な「自治」(タウンシップ)の構築と運営ではなかった。
 これでこの7日間の「自治」をめぐる小論を締め括る。

 以下は、そこから導かれるであろう発展的考察の端緒の一つである。
 上に見たような権力の上から下へのベクトルが民衆自身に自覚されていないとき、「自治」は、「自らの責任において」という大義名分の下に、「自分たちを自ら守るために」という「正当な」理由を掲げ、暴走する危険を孕む。
 これは過去の話ではない。コロナ禍で各地に発生した「自警団」の暴挙はいまだ私たちの記憶に新しい。

 「自治」とはどういうことか。今日この問いを問い直すために、一見迂遠に思えるかも知れないが、一方で、トクヴィルが1830年代のアメリカに見て取ったタウンシップとしての「自治」を参照し、他方で、16世紀末以前の日本における「土着」の自発的自治組織の形成から衰亡へと至る歴史的過程を辿り直すことは、少なくとも二つの「補助線」として、けっして無駄ではないと私には思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

町村レベルを超えた地方自治は国家を「民主主義」へと導く危険があると危惧した井上毅

 

 昨日の記事同様、『思想史講義 【明治篇I】』第14講に依拠しながら、政治的「自治」に対する井上毅の批判的認識を辿っていこう。
 1888年10月に元老院にその原案が提出された市制・町村制と府県制・郡制とは、その構成や内容において類似点がある。その最重要の一点が自治性である。府県にも郡にも一定の自治性、具体的には、代議機関として、府県会、郡会を持ち、行政機関として、府県参事会と府県委員、郡参事会と郡委員が置かれるとした。一言で言えば、府県・郡レベルでも、住民の合議、つまり「自治」が重んじられていたのである。
 この府県制・郡制に対して厳しい批判をつきつけたのが井上毅だった。その批判の要点は、府県会を府県の代表とすると、政府の代人であるべき府県知事が府県会の決議に従属することになり、府県の自治の影響は中央に及び、国政の国民による「自治」が要求され、国体が破壊されてしまうという点にある。一言で言えば、「自治」を中央政府にまで及ぼすのは「民主政治」であり、それは日本の国体に反する、というのである。
 井上は「自治」を全面的に否定しているわけではない。法制局員を前にした演説で、自分は町村自治の賛成者であって、府県自治の反対者であると述べている。その上で、地方の事務を地方の人自らに任せれば、地方の人は満足して「平和着実ノ事務」を執り、従って、「中央ノポリチツク」も「平和ノ影響」を得られるという立場に自分も「初ハ或ハ然ラム」と考えたが、それは「夢デ有ル」と判断するに至ったと言う(「自治制ニ関スル演説」)。
 「民主主義ノ元素ヲ除キ去ルノ良手段」であるべき「自治」は、その限度を町村レベルに厳格に限定しないと、逆に国家を「民主主義」へと導く危険があると井上は危惧したのである。この井上の意見は政府内で影響力をもった。結果、1890年5月に公布された府県制・郡制は、自治性において大幅に後退した内容に書き換えられていた。
 かくして、大日本帝国憲法公布直後の明治日本において、「自治の精神」は町村レベルに留まるという屈曲を強いられることになった。
 この屈曲が近代日本における「自治の精神」の「発達障害」の原因となったと言うべきだろうか。しかし、第一回帝国議会開会後の1890年12月、福沢諭吉は、『時事新報』社説「国会の前途」のなかで、立憲政体下の「地方自治」を「古来日本固有の制度」として積極的に擁護する。
 明日の記事では、その福沢の主張の内容を見てみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

明治前期における「民主主義ノ元素ヲ除キ去ルノ良手段」としての町村レベルの「自治」

 

 宇野重規氏の『トクヴィル』からの「自治」に関わる箇所の摘録は昨日までの四回の記事で一応区切りとしたい。
 今日から「フィールド」を日本に移し、明治前期における「自治」概念をめぐる当時の議論を見ていく。
 参照するのは、山口輝臣/福家崇洋編『思想史講義【明治篇I】』(ちくま新書、2022年)」の第14講「自治」(執筆者・渡辺直子)である。同講は当時のかなり細かな議論についても立ち入って紹介しているのだが、それらの点は私の今回の関心の焦点とはあまり関係がないので触れない。もっぱら、当時の思想家、政治家、官僚たちが「自治」をどう認識していたかを見ていく。
 まず、福沢諭吉である。1877年出版の『分権論』の中で、福沢は、「自治」を「自ら治める」くらの意で用いている。人民が自ら考え、判断し、行動すること。それが「自治」である。この「自治の精神」を日本国民は身につけておらず、このままでは「国力は衰微」すると福沢は憂慮する。では、それを国民が身につけるには、どうすればよいのか。「地方の治権を執て公共の事に参与する」ほかに良策はないと福沢は考える。つまり、自らが住まう「タウン」の自治に国民を参加させるほかないと考えたのである。
 ところが、翌年1878年出版の『通俗民権論』で、福沢は、次のように述べている。「町村の人民が寄合ひ、入用の銭米を取立て其遣払を為して一町一村の便利と起し、町内繁昌、村中安全の趣意を達するは、固より政治の関る所に非ずして町村の権内に在ることなり、之を地方の治権と云ふ。」つまり、「自治」は旧体制においてすでに存在し、機能していたことに気づいたのである。
 この点において、福沢と同じ認識を示しているのが井上毅である。1885年、当時法制官僚だった井上は「地方自治制ノ意見」において、旧幕時代の年寄庄屋制に触れている。藩主が転封のとき、家臣は藩主についていくが、年寄庄屋はその土地に残る。貢税は年寄庄屋の責務である。つまり、年寄庄屋は「自治ノ精神ヲ有スル」のであり、町村の共同財産に関しては幕府の干渉は受けない。町村住民で町村の公益に反する行為を為す者には、自分たちで処罰する。したがって、「旧来町村ノ制ハ自治ノ性質ヲ有スルコト明瞭タリ」と述べている。そこから、町村は旧来から「自治」の性質があるので、明治の新制度においても、国家形成の最小単位であるコミュニティとしての町村の「自治」を臣民(井上はその起草に携わった「大日本帝国憲法」において、「国民」という言葉を避け、「臣民」で一貫させている)に与えても問題はないとしたのである。
 このように、福沢と井上には、「自治」に関しては、日本にはそれが旧体制から町村レベルでは存在し、機能していたという共通の認識があった。もちろん、だからといって、近代国家形成のヴィジョンにおける両者の決定的な違いがそれだけで相対化されるわけではない。しかし、これは別の大きな問題であるから立ち入らない。
 ここで特に注目しておきたいのは、井上が町村の自治をいわば旧体制からの「既得権」として積極的に認めたのは、それを町村レベルに限定するためであり、町村の自治権を「自治」が国政にまで及ぼされることがないようにするための「防波堤」と考えていたことである。つまり、井上が自治を町村レベルにおいて認めたのは、人民に公共の仕事を実際に自ら行わせ、その実践を通じて「自治」の限界を認識させ、国民の「自治」には任せられない国家運営に必要な権力に恭順させるためなのである。
 1830年代のアメリカにおいてデモクラシーの基礎単位とトクヴィルによって見なされた市民による「自治」(タウンシップ)と、その約50年後の明治前期の日本における町村レベルの「自治」とが、ほとんど対立的な機能をもっていることがここではっきりする。後者において、「自治」は、その限界を超えない限りにおいて、「民主主義ノ元素ヲ除キ去ルノ良手段」(ルドルフ・フォン・グナイスト)と見なされていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トクヴィルが見た1830年代初頭のアメリカのデモクラシー ― 「自治」概念を中心にして(4) 初期移民たちが入植時にすでに身につけていた「自由の精神」と「自治の習慣」

 

 昨日の記事で引用した第三章「トクヴィルの見たアメリカ」から、「自治」に関して、あと二箇所、摘録しておきたい。いずれも昨日と同じ「2 政治的社会としてのアメリカ」からである。まず、「二つの集権と「小さな共和国」」という小見出しが付された節から。

 トクヴィルの見るアメリカは、タウンシップという「小さな共和国」のうえに成り立っている。合衆国の市民の一人ひとりは、自治の活動を通じて、自分の住むタウンシップの諸問題を自分の問題として受け止め、他の市民とともに行動することを学んでいく。モンテスキューは、共和政は小国においてのみ可能であるとしたが、トクヴィルの見るところ、アメリカ合衆国は、タウンシップという「小さな共和国」のうえに、州、そして連邦が形成され、そのことによって結果として大国になっている。自治の精神という小国のメリットと、国民の多様性とそのエネルギーという大国のメリットを兼ね備えた国、それがアメリカというわけである。(112頁)

  これは、しかし、あくまでトクヴィルが見た「アメリカ」についての要約であり、この「アメリカ」が当時のアメリカの現実全体をそのまま忠実に反映しているわけではない。宇野氏も第一章で、トクヴィルが親友ボーモンと二人で見て回った「アメリカ」の限界を次のように指摘している。

もちろん、彼らの調査は網羅的なものではない。二人が主に滞在したのはニュー・イングランドをはじめとする北東部であり、南部や西部は駆け足で通り過ぎただけである。アメリカ社会の地域的多様性を考えると、彼らが見たアメリカは、きわめて限られた一部に過ぎなかったと言えよう。このことは、主にニュー・イングランドをもってアメリカの本質と見る『デモクラシー』の、ある種の偏りをもたらす遠因となった。また彼らの関心が政治・社会・文化・風俗に厚く、経済に薄かったこともたしかである。(43頁)

 上掲の宇野氏による要約は、トクヴィルが『デモクラシー』第一巻序文で「私はアメリカの中にアメリカを超えるものを見た」(« dans l’Amérique j’ai vu plus que l’Amérique »)と言うときの、「アメリカを超えるもの」、言い換えれば、「デモクラシーのユートピア」にむしろ相当すると見るべきではないだろうか。
 「自治」に触れたもう一箇所は、アメリカのデモクラシーを可能にした歴史的条件を考察している節にあり、そこには初期移民たちが体現していた「自由の精神」について次のように述べられている。

トクヴィルの見るところ、その起源にあるのは、祖国イギリスでの党派抗争の長い歴史であった。反対派となったとき、権力から身を守るために必要なのは権利の観念と自由の原則であるが、これをイギリス系移民はその厳しい現実の「政治教育」でたたき込まれてきた。特に初期の移民たちの多くは、祖国において宗教的な迫害を受け、その信念を守るために新大陸に新天地を求めた人々であり、その多くは中産階級に属していた。結果として、彼らは政治的知識を持ち、自治の習慣を身につけていた。いわばその祖国でも一般的とは言い難かったような人間類型が、ニュー・イングランドの地で実験のように純粋培養されたのである。(116頁)

 イギリスからの初期移民たちは、この意味で、アメリカへの入植するとき政治的にすでに成熟しており、自分たちの身を自ら守るには何が必要であり、そのためにはどのようなコミュニティを形成すべきかについて、その出発点において、一定の理解を共有していたと言うことができるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トクヴィルが見た1830年代初頭のアメリカのデモクラシー ― 「自治」概念を中心にして(3) 「人民主権」の原理としての「完全な平等性に立脚した自治の精神」

 

 『トクヴィル』のなかに「自治」という言葉が出てくる次の箇所は、第三章「トクヴィルの見たアメリカ」第2節「政治的社会としてのアメリカ」のなかの「「人民主権」と「平等な自由」」と小見出しが付けられた節である。「自治の精神」という表現が出てくる直前の段落から読んでみよう。

政治的な平等という場合において重要なのは、人々が平等に自由になるか、あるいは平等に隷属するかという、二つの選択肢があるということである。イギリス系のアメリカ人は幸福にも、前者を選ぶことができた。強者を引き下げるのではなく、万人が平等に力を持つことを選んだのである。ここにトクヴィルは、イギリス系アメリカ人の政治的成熟の原点を見出す。
 より具体的にいうならば、イギリス系のアメリカ人は、各個人が等しく権利の担い手であることを受け入れた。そして、各人が自分の利害の唯一最善の判定者であることを承認したうえで、他の個人と共有する利害については、相互に義務を負うことを承諾した。「人が社会に従うのは、自分が指導者よりも劣っているからでも、自治能力が他人より低いからでもない。仲間と手を結ぶことが有益に思われ、しかもこの結合はある調整権力なしには存在しえないことを知っているから、社会に従うのである」(« Il obéit à la société, non point parce qu’il est inférieur à ceux qui la dirigent, ou moins capable qu’un autre homme de se gouverner lui-même ; il obéit à la société, parce que l’union avec ses semblables lui paraît utile et qu’il sait que cette union ne peut exister sans un pouvoir régulateur. », De la démocratie en Amérique, I, I, V)。各個人は自己にのみ関わる利害の最善の判断者であるが、他の諸個人と共有する利害、すなわち「社会的な利害」については相互調整に服する。このような、完全な平等性に立脚した自治の精神こそ、トクヴィルのいう「人民主権」の原理にほかならなかった。(106‐107頁)

 このような「「人民主権」の原理はタウンシップにおいて育まれ、やがて同様な精神のうえに、連邦政府が構成された」とこの段落は結ばれているのだが、実際には、連邦政府の構成は「自治の精神」のみに基づいているわけでない。しかし連邦政府の構成過程はここでの主題ではないので、その点には立ち入らない。ただ、「完全な平等性に立脚した自治の精神」が「人民主権」の原理であり、各人の利益の自由な追求の可能性の根本条件であることを確認するにとどめる。
 次の段落の冒頭に、「トクヴィルの見るところ、ここで示された「平等な自由」こそ、〈民主的人間〉が秩序を作るにあたって、もっとも根本的な原則であった」とあり、それに続けて、『デモクラシー』からの引用がある。「自由と平等が接触し、渾然一体となる極点を想像することはできる。あらゆる市民が政治に参加し、各人が平等な参政権をもつと想定してみよう。(中略)人々は誰もがまったく平等であるがゆえに完全に自由であり、また、まったく自由であるがゆえに誰もが完全に平等であろう」(この引用箇所には、「また、まったく」以下の最後の部分に、「自由」と「平等」とが逆なっているという誤植あるいは校正漏れがあるのだが、それを修正して引用した)。
 同箇所の原文も引用しておこう。

« On peut imaginer un point extrême où la liberté et l’égalité se touchent et se confondent. Je suppose que tous les citoyens concourent au gouvernement et que chacun ait un droit égal d’y concourir. […] les hommes seront parfaitement libres, parce qu’ils seront tous entièrement égaux ; et ils seront tous parfaitement égaux parce qu’ils seront entièrement libres.» (DA, II, II, I)  

 言うまでもなく、自由と平等が完全に一致した社会など、当時のアメリカを含めて、現実にはどこにも存在しない。上掲の引用のなかで提示されているのは、あくまで究極的な理念である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トクヴィルが見た1830年代初頭のアメリカのデモクラシー ― 「自治」概念を中心にして(2) 自己の利益の追求が公共の利益の実現でありうる社会とは

 

 宇野重規氏の『トクヴィル』から昨日引用した箇所の直後の「『デモクラシー』の基本的視座」と題された節の冒頭の段落をまず読んでみよう。

 このような現実のアメリカ観察から、『デモクラシー』へとつながる、トクヴィルの基本的視座が確立していく。すなわち、アメリカはモンテスキューが説いたような意味での共和政とは異なる、まったく新しい共和政である。モンテスキューはかつて、共和政を可能にするのは市民の徳と節倹であるとした。この場合の徳とは、自らの利益を公共の利益のために犠牲にする精神である。しかしながら、アメリカにおいて見られるのは、自己利益を追求する利己的な精神である。にもかかわらず、アメリカ人は同時に「正しく理解された(自己)利益」をよく理解しており、自己の繁栄と社会の繁栄とが矛盾するどころか、長い目で見れば、密接に結びついていることをよくわきまえている。この理解を支えているのが、社会の底辺における自治活動であり、陪審制や結社を通じての政治参加である。したがって、アメリカの共和政は人を必ずしも自己犠牲的にはしないかもしれないが、そのことは民主的共和政の存立可能性を否定するものではない。むしろ、アメリカの実験の大きな成果は、自己利益を追求する中産階級が、にもかかわらず、十分に共和政を統治する能力をもつということであり、いいかえれば、徳が必ずしも共和政を動かす唯一の原動力ではないということを実証してみせたことであった。(50‐51頁)

 この引用のなかに出てくる共和政と民主政の違いについて、同節の次段落以降で述べられている説明を簡単にまとめると、以下のようになる。
 共和政とは、元来、世襲の君主のいない政治体制を指す。したがって、世襲の君主さえいなければ、貴族政でも民主政でも共和政ということになる。
 共和政(リパブリック)の語源である「レース・プブリカ」は、公共のことがらを意味する。それが国家を指すとき、その国家を構成する市民たちが共有する公共の利益を第一基準としてすべての決定がなされるべき政体という含意をもつ。
 リパブリックの政治は、すべての市民の公共の利益のためになされなくてはならないが、そのことは、すべての市民が政治に直接的に参加することを直ちに意味しない。何がすべての市民にとっての公共の利益であるかは、誰にでも自明ではないからである。
 むしろ、社会の公共の利益を理解する人間の数は、多くの場合、きわめて限られている。したがって、共和政は公共の利益のための政治ではあるが、多数者自身による政治である民主政とは区別される。言い換えれば、共和政には、真に公共の利益を実現するためには優れた少数者による指導が必要であるという含意がある。この含意が共和政にエリート主義的色合いを与える。
 この説明を踏まえて、共和政と民主政の違いを一言で言えば、前者が「上から」公共の利益の実現を目指す政治であるのに対して、民主政は「下から」それを目指す政治だということになろう。
 では、『デモクラシー』でのトクヴィルの議論の焦点が、共和政から民主政に移っていくのはなぜか。それは、アメリカの政治をほんとうに動かしているのは、一般市民の日常的な政治活動である、という結論にトクヴィルがアメリカ観察を通じて至ったからである。
 この一般市民の日常的な政治活動が「自治」である。この自治を通じて、一般市民は、自己の利益の追求と公共の利益の実現とは矛盾しないことを実践的に学んでいく。というのも、各自が「自由に」前者を追求すれば、後者が自動的に実現するわけではないからである。現実には、自己の利益の追求が公共の利益の実現に反するときがある。それは、しかし、両者が本来矛盾するからではなく、自己の利益あるいは一般の利益がよく理解されていないからである。
 以上の議論を前提とするとき、自治とは、自らが生活するコミュニティであるタウンシップという最小の社会構成単位のなかで、自己の利益の追求と公共の利益の実現とが矛盾しないだけでなく、前者が後者をもたらすにはどうあるべきかを各自自ら実践的に学んでいくプロセスだと言うことができるだろう。
 この自治がトクヴィルの見たアメリカのデモクラシーの基礎になっているとして、自治の範囲はどこまで拡張できるのだろうか。あるいは、タウンシップの枠組みを超えた問題にはどう対処すべきなのだろうか、という疑問が当然生まれてくるが、先を急がず、「自治」という言葉が使われている他の箇所を順に読んでいくという作業を続けよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トクヴィルが見た1830年代初頭のアメリカのデモクラシー ― 「自治」概念を中心にして(1) タウンシップと呼ばれる最小の自治単位

 

 日本に欧米由来の「自治」の概念が広まるのは明治十年代から二十年代初めにかけてのことである(山口輝臣/福家崇洋 編『思想史講義 【明治篇I】』ちくま新書、2022年、第14講「自治」)。渡辺直子氏による同講に示された明治初期の「自治」概念と、それより約半世紀前にトクヴィルがアメリカで観察した「自治」(タウンシップ)」とは、ある点において際立って対照的である。それはデモクラシー(民主主義)の基本的理解に関わる。
 日本思想史を来年度も担当する私の主な関心は、明治初期における「自治」概念の方なのだが、その特徴及び問題点を際立たせるために、このテーマを取り上げる授業の導入部として、まずトクヴィルがアメリカで観察した自治のあり方を提示してみようと思いついた。
 そこで、その準備の手始めとして、宇野重規氏の名著『トクヴィル』(講談社学術文庫、2019年。原本、2007年)から、トクヴィルが現地で直に観察した1830年代初頭のアメリカにおける「自治」のありかたに関わる箇所を摘録しておくことにする。
 そう思い立ったのは、まだずっと先の授業の下準備という「下心」を超えて、「自治」とは何かという問いに向き合っておく必要を今私が感じているからでもある。
 宇野氏の本の中には、実際、「自治」という言葉が少なからず登場する。それぞれの言及箇所の文脈もわかるように前後を合わせて引用するとなると、一回の記事で取り上げることができるのは、量的に一、二箇所に留まる。したがって、今日から数回の記事に分けて、「自治」という言葉が使われている箇所を見ていくことにする。
 授業で「自治」の問題を取り上げるのは、来年度後期、つまり来年二月以降のことであり、したがって急ぎではまったくないし、今は夏休み中であるし、のんびりと、気の向くままに寄り道もしながら、少しずつ読んでいく。
 今日のところは、第一章「青年トクヴィル、アメリカに旅立つ」の以下の箇所を読んでみよう。

アメリカ社会では政府の存在は強く感じられず、あたかも「統治の不在」のごとくであるが、にもかかわらず、社会は正常に機能している。その背景にあるのは、社会の底辺における自然発生的な「デモクラシー」なのではないかというのが、トクヴィルの観察であった。すなわち、ニュー・イングランドでは、初期の入植時代よりタウンシップと呼ばれる最小の自治単位が形成され、このタウンシップが集まって群が、群が集まって州が構成された。いわば、基礎的なのはタウンシップの方であり、歴史的にも州の存在に先行している。タウンシップにおける市民の自治への参加が、アメリカ社会の秩序を下から形成しているという観察こそ、『デモクラシー』執筆の大きなモチーフとなったのである。(49-50頁)

 アメリカ建国の出発点として入植時代の小さな自治組織であるタウンシップがあったということは、その自治形成の原理が、他に頼るもののない未開の地という過酷な条件下で共通の困難に立ち向かい、自分たちの生活の場を切り開いていく小さな集団による自発的な連帯と自律であったことを意味している。
 後に見るように、明治初期の町村の自治は、公権力が介入すべきではない領域を意味した。つまり、明治政府の初期の国家構想においては、まず国家があり、国家によって統治される府・県・郡あり、町村は、公権力が立ち入らない自治領域としてそれらとは区別された。この意味で、町村の自治は、非自発的な、付与された「自由」であった。
 しかし、このことは、日本にはかつて一度も自発的な自治組織はなかったということを意味しない。少なくとも、室町時代に確立した惣村は自治組織と言えるだろう。呉座勇一氏は、『一揆の原理』(ちくま学芸文庫、2015年)のなかで、惣村について次のように述べている。

災害時に「人のつながり」の重要性が再確認され、人々の連帯が強化されるのは、今も昔も変わらない。惣村が確立したのも、飢饉が頻発した室町時代のことである。惣村とは自治権を持った村落のことで、その実態は百姓の一揆的結合である。惣村が一丸となって土一揆を起こす事例も見られる。人々の生存をおびやかす危機的な状況が強固な結合を生み出すバネになったことは疑いない。

 上掲の宇野書からの引用とこの引用とを読み合わせるとき、自発的な自治組織形成の根本契機の一つが自ずと浮き彫りにされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改善可能性(perfectibilité)、あるいは、自分たち人類はどこまでも改善していくことができるという「古き良き」アメリカ人たちのナイーブな信仰

 

 日本語にももちろん誇張表現がある。
 文脈にもよるが、例えば、「英語を完璧にマスターする」というとき、それは何も「これ以上学ぶことがない究極のレベルに到達する」ということが言いたいわけではなく、「自分として可能な限りの上達を図る」くらいの意味で使われることも多い。
 フランス語では、もっと気軽にこの類の表現が使われる。例えば、perfectionner という動詞は、文字通りには「完全にする」の意だが、実際には、「しっかり上達させる」くらいの意味でも使われる。« Aller au Japon pour perfectionner le japonais » と言えば、「日本語を磨くために日本へ行く」くらいの意味で学生たちもよく使う。日本語の達人になるのは容易ではないことは彼らもよくわかっていて、こう言うのである。
 十八世紀中頃、perfectible という形容詞、そして、perfectibilité という名詞が登場する。前者の例はヴォルテールにあり、後者はルソーにある。前者は「改善しうる」「完全を目指しうる」の意であり、後者は「改善可能性」「自己改善能力」の意である。どちらも、「完璧」や「完全性」にほんとうに到達できるかどうか、そもそもそれは可能か、ということは問題にはならない。どちらにも、どこまでも改善しうるというオプティミズムが背景にあり、いかにも啓蒙の世紀の「申し子」として相応しい言葉ではある。
 トクヴィルは、『アメリカのデモクラシー』のなかで、イギリス系アメリカ人(1830年代のアメリカ人の多数派)及びその社会の特徴を述べるとき、よくperfectibilité という言葉を使う。第一巻第二部第十章の下の用例を読んでみよう。

  Les Anglo-Américains placent dans la raison universelle l’autorité morale, comme le pouvoir politique dans l’universalité des citoyens, et ils estiment que c’est au sens de tous qu’il faut s’en rapporter pour discerner ce qui est permis ou défendu, ce qui est vrai ou faux. La plupart d’entre eux pensent que la connaissance de son intérêt bien entendu suffit pour conduire l’homme vers le juste et l’honnête. Ils croient que chacun en naissant a reçu la faculté de se gouverner lui-même, et que nul n’a le droit de forcer son semblable à être heureux. Tous ont une foi vive dans la perfectibilité humaine ; ils jugent que la diffusion des lumières doit nécessairement produire des résultats utiles, l’ignorance amener des effets funestes; tous considèrent la société comme un corps en progrès ; l’humanité comme un tableau changeant, où rien n’est et ne doit être fixe à toujours, et ils admettent que ce qui leur semble bien aujourd’hui peut demain être remplacé par le mieux qui se cache encore.
 Je ne dis point que toutes ces opinions soient justes, mais elles sont américaines.

 岩波文庫版の訳は以下のようになっている。

 イギリス系アメリカ人は、市民の総体に政治権力を認めるように、普遍的理性に道徳的権威を認め、何が許され何が禁じられ、真理と虚偽はどこで分かれるのかを識別するのに頼るべきは、万人の感覚であると考える。彼らの多くは、人は自分の利益を正しく認識すれば公正と正直に導かれると考える。誰もが生まれたときから自己統治の能力を授けられ、何人も仲間に強制して幸福に導くことはできなと信じている。誰もが人間の完成可能性を本気で信じ、知識の普及は必然的に有用な結果を生み、無知は有害な帰結をもたらすと判断する。誰もが社会を全体として進歩するものとみなし、人類を一つの動く情景に描き、そこでは何事も永久に停止せず、停止すべきでないと考える。そして今日よいと思うものも明日には、いまはいまだ見えない、よりよいものに取って代わられるかもしれないと認める。
 私はこれらの意見がすべて正しいとは言わないが、それらがアメリカ人の意見なのである。

 この訳には、二箇所、ミスリーディングなところがあると私は思う。
 まず、perfectibilité を「完成可能性」と訳しているのには、違和感を覚える。アメリカ人たちは、いつかわからないが完成するときが来ると信じているとここで言いたいのではないからである。そうではなく、どこまでも改善は可能だと信じているということである。もう一つは、「人類をひとつの動く情景に描き」と訳しているところである。これでは、まるで人類をその外側から描くかのような立場を想像させるが、原文の文脈に沿えば、自分たちもそのなかの登場人物である人類は、一つの動的全体としてどこまでも進歩していく「動画」のようなものだというのがアメリカ人の「意見」だとトクヴィルは述べているのだと私には思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現代日本社会におけるヴィーガニズムの実践の諸相を当事者たちへのインタビューから浮かび上がらせる社会学的考察の試み

 

 早朝から正午過ぎまでの数時間、現在日本留学中の学生が日本語で日本人に対して行ったヴィーガニズムについての10件のインタビュー(といってもすべてオンラインだが)の日本語原文起こしとその仏訳をチェックしていた。
 全部で100頁近くあり、同じ質問が10人に対して繰り返されるので、ちょっとうんざりするところもあったが、内容自体はそれぞれにきわめて興味深く、これらのインタビューが実現できただけでも留学した意味があったばかりでなく、その成果を論文の中心にうまく据えることができれば、現地での調査にしっかりと基づいた良い論文になるだろう。
 インタビューを受けてくれたのは全員ヴィーガニズムを実践している人たちで、中には街頭活動家もいる。みなそれぞれに自分たちの選択の理由を語っているのだが、そのことが自ずと近代日本社会固有の問題と現代日本社会が直面する諸問題をある側面から浮き彫りにすることになっており、その点からもなかなかに読み応えがあった。
 インタビュアーがフランス人学生であり、インタビューは修論の基礎データにするためという、「ニュートラルな」立場からのものであったがゆえに、インタビューを受けた側も、匿名という条件のもと、日本人同士であれば避けがたい「忖度」をせずに、個人的な感情も含めて率直に話してくれていて、そのことがこのインタビューを貴重なものにしている。
 これらのインタビューの特性をさらに際立たせるために、対比項として、フランス人11名に対しても同様な質問事項に答えてもらうインタビューを学生はすでに行っており、近日中にそのデータも私に送られてくることになっている。
 四月からの一学期のみの留学前に、ヴィーガニズムに関する理論的部分はこちらでできるだけ書き進めておくようにという私の指示を学生(といっても、三十代後半の現役看護師で、なんとか職場から半年の休暇をもらっての留学である)は忠実に守ってくれて、その部分はすでにほぼ完成している。
 来月の帰国後に彼が取り組まなくてはならないのは、インタビューデータを分析・考察し、それらの作業を通じて現代日本においてヴィーガニズムが直面する諸問題、特に、日本固有の困難を明確化することである。そして、結論として、それでも描きうる今後の積極的な展望の可能性を示すことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「禁書」の効用 ― 書籍購入を控えるようになって得られたもの

 

 先月17日に始めた「禁書」(正確には、「禁書籍購入」。7月11日の記事「「禁書」して、古典・名作・名著の読書に耽るこの夏休み」参照)は、自分でもちょっと驚きなのだが、今日まで続いている。
 ここ10年ほどはすべての購入書籍(紙版・電子書籍版)リストをエクセルで管理しているので、確認してみたところ、過去に一冊も購入しなかった月はない。それ以前のことはよくわからないが、そういう月があったとしてもきわめて稀であろう。
 こうなれば、「記録狙い」である(ど~ぞ、ご勝手に)。今月末までは買わないと決めた(エライ!)。記録を達成したところで、なんのご褒美もないし、誰も褒めてくれないが、ワタシ的には歴史的な「快挙」である(お祝いさしあげましょうか。もちろん本じゃなくて、たとえば、ワインとか)。
 「禁書」を始めた当初は、過去の経験からして、すぐに挫折するんじゃないかと自分でも懐疑的だったし、「禁断症状」に陥り、結果、見境なく爆買いしてしまうのではないかと恐れてもいた。確かに、「禁書」をはじめて二、三週間は、面白そうな本をネットで見つけるたびに(そもそも見なきゃいいわけですが)、つい買いそうになり、その欲望を抑えこむのに一苦労した。
 ところが、ひと月ほど経って、「買わないストレス」がはっきりと低減していることに気づいた。興味をもった書籍をネットで検索することは以前同様続けているのだが、「あっ、これ、面白そう」とか思っても、以前であれば、「今すぐ役に立たなくても、いつか役に立つかもしれない」とか、「うかうかしていると入手困難になってしまうかも知れない」と自分を説得して(それに、これは専門書に関しては、多くの場合、事実でもある)、速攻で買いまくっていたのに、今は、「いや、待て。ほんとうに必要か」、「別になくても困らなかろう」、「読む暇があったら自分で考えろ」などと自制がすぐに働くようになった。
 そして、「まっ、いいや。今回はやめとくかな」という結論が「デフォルト」になった。脳内の書籍購入アルゴリズムがそうなるように置換された感じである。
 書籍以外の購入には、もともときわめて慎重であった。買いたい商品の入念な下調べをまず行い、買うかどうかの決定には必ず何日かかけていた。その日数は買う商品の価格とほぼ正比例している。もともと高い買い物はしないし、私にとって高価なものとは、せいぜいPCとかタブレットとかスマートフォン程度であるが、それでも最低ひと月は買うべきかどうか考える。しかも、結果、「今回は不購入」という結論に至ることのほうが多い。
 今回、この原則が書籍購入にも適用されるようになっただけだとも言える。しかし、その効果は私にとって小さくはない。すでに所有している本だけでも一生読む本に困らないほどあるのだし、それらの多くは再読、三読に値する名著、あるいは繰り返し読むに値する古典ばかりなのであるから、それらに読書エネルギーを集中することによって得られる「養分」は、次から次へと読み散らすことで得られるそれとは比較にならない「栄養」を精神に供給し、その活動の活性化に寄与してくれるだろう。
 それに、出費も減るから、その分、お金も貯まる。一挙両得、である。