2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧
ある文化を外から考察する者がどうしても抱くことになる、歪曲された知識、しばしば犯すひどい評価の誤りなどを認めた上で、それらが代価をもたらすことがありうることにレヴィ=ストロースは注意を促す。 遠くからしか事物を見られないという運命を負い、詳…
本書には、二つの講演、さまざまな機会に日本について書かれた六つの文章、そして巻末にK先生との対談が収められている。巻頭に据えられているのが「世界における日本文化の位置」(Place de la culture japonaise dans le monde)と題された講演で、一九八…
このレヴィ=ストロースの邦訳の原書 L’autre face de la lune. Écrits sur le Japon は、訳者であるK先生ご自身が編集され前書きを付されて、フランスが生んだこの人類学の世界的な巨匠であり、二十世紀最高の知性であり思想家の一人が一〇一歳の誕生日を一…
私が年末年始日本に滞在している間にK先生が私のフランスの勤務大学宛に送ってくださったご著書・編著・翻訳計十八冊を学科教務秘書課に引き取りに行ってから、今日でちょうど二週間になる。その間、毎日必ずそのいずれかを読み、引き取ってから三日後からは…
『文化を交叉させる』は、青土社から二〇一〇年五月に刊行されているが、その「あとがき」を読むと、同書の特異な出版までの経緯がわかる。 この本に収められた論考は、当初フランスで刊行されるはずであった。あるフランスの出版社が、K先生がフランス語で…
今日の記事のタイトルが書名であるK先生の本は、青土社から二〇〇七年に刊行されている。文化人類学のあり方をめぐって書かれた論考・エッセイを主として、新聞のコラム欄に掲載された時事的な感想が巻末に収められている。最も日付が古い論考は、一九九五年…
昨日紹介した本も今日紹介する本も、奥付を見ると、出版年はいずれも二〇〇四年、前者が七月、後者が八月に第一刷発行(岩波書店)と、立て続けに刊行されている。前者が折にふれて書かれたエッセイ集という性格を持っているとすれば、後者は、K先生の二十年…
昨日までの一週間の記事では、人類学者K先生の編著十二冊を紹介しつつ、その紹介に若干の私的感想を加えた。 今日の記事から五回に渡って、K先生が二〇〇四年から二〇一〇年に出版された単著五冊を、出版年月日の古い順に一日一冊ずつ紹介していく。 『人類…
今日の記事のタイトルが書名である本は、二〇一〇年に平凡社から出版されている。この本の基になっているのは、一九九三年から一九九七年にかけて四年間におよんだ共同研究「音・図像・身体による表象の通文化的研究」であり、その間開かれた研究会は十三回…
二〇〇一年四月に京都で、『近親性交とその禁忌』をテーマに、集団生物学・霊長類学・文化人類学の最新の研究成果と問題意識を持ち寄ったシンポジウムが、日本人類学会進化人類学分科会の主催で行われた。このような学際的な視野でこの問題が論じられるのは…
二〇〇一年に出版された『文化としての経済』(山川出版社)は、国際交流基金の機関誌『国際交流』(季刊)第八三号(一九九九年四月一日発行)の特集「文化としての経済」を書籍として再編集したものである。 その「はじめに」には、「«人間中心の経済 »を…
K先生が日本から送ってくださった編著の残りの四冊を出版年順に列挙すると、『文化の未来』(未来社、一九九七年)、『文化としての経済』(山川出版社、二〇〇一年)、『近親性交とそのタブー』(藤原書店、二〇〇一年)、『響き合う異次元 音・図像・身体…
今日の記事のタイトルに掲げた三つの言葉は、K先生が編著者として、あるいは企画委員として関わった三つのシリーズの中にそれぞれ含まれているキーワードである。 『「未開」概念の再検討』(リブロポート、I-一九八九年、Ⅱ-一九九一年)。K先生が編者であ…
人類学者K先生の編著『ヨーロッパの基層文化』(岩波書店、四〇八頁)は、一九九五年に出版された。文化人類学、歴史学、美術史、文学、言語学等の分野でのヨーロッパ研究者十七名が、平成三年(一九九一年)度から四年間、『ヨーロッパの基層文化の研究』と…
人類学者のK先生が日本から送ってくださった本はすべて、先生も発表者として参加された昨年秋のアルザスでの国際シンポジウムでの私の発表内容に直接的あるいは間接的に関わるテーマを扱ったもので、具体的に言えば、地域・民族・国家・共同体等をその主たる…
十二日夜に帰国してから、その翌々日の一昨日が後期最初の講義「中古文学史」、昨日が教員会議、そして今日金曜日午前中が「近世文学史」と、息つく日まもなく、しかも時差ぼけで、午後に抗いがたい睡魔に襲われ、そのまま寝てしまって、午前零時前後に目が…
自文化の起源・源泉は、必ずしもその文化そのもののうちにはない。そのすべてではないにしても、自文化の主要な構成要素のうちには、それらの起源が異文化のうちに見いだされるものも少なくない。この特徴は、日本文化について特によく当てはまる。現代日本…
異文化理解が自己認識の方法であるための手続きの一つとして、歴史の中に自分を「書き込む」という作業が要請される。この作業は、対象である異文化に対する自文化の時空の隔たりを自覚的に計測し、己の立ち位置を両文化との関係において限定することからな…
異文化の理解の仕方は、様々でありうる。しかし、それらを自明性の相対化を介した自己認識の方法として自覚的に実行するためには、それらを類型化しておくことも無駄ではないであろう。ここでは三つの類型を提示する。 第一類型と第二類型とについては、この…
早朝、妹夫婦に渋谷まで車で送ってもらって、そこから羽田空港行のリムジンバスに乗った。七時前だったこともあり、首都高もよく流れていて、僅か三十分程で国際線ターミナルに着いた。先程搭乗手続きを終え、荷物も預け、搭乗ゲート前で十時五十分の出発を…
明朝日本を発ち、フランスに戻る。昨日、昨年十二月に亡くなった母親の「偲ぶ会」があり、多数の方々が母に「お別れ」を言いに来てくださった。その会は、母が生前に望んでいたような楽しい会になった。会後も母がそこで生涯を終えた家に、懐かしい顔ぶれも…
昨日までの三日間で取り上げた理解の三条件を簡単にまとめると、以下のようになる。同定可能な対象があること、その対象が一定の規則に従って分節化された世界の中にあること、その対象を他の諸対象と一定の関係において位置づけうる概念システムがあること…
理解が成立するための三番目の条件を考えるために、次のような問いを立ててみよう。「わかる」と「理解する」とは、同じことか。 この問題をまずは文法的な問題として考えてみる。今日の実際の運用では、「わかる」を他動詞のように使う例もしばしばみられる…
ある対象を理解するための「何なのか」「なぜなのか」「どのような意味があるのか」「どのような仕方でそうなるのか」等の問いが成立するためには、その対象がそのような問いを引き起こす未知あるいは不可解な対象として分節化される自明性の水位を前提とし…
理解するとは、どういうことか。これは、認識論の基本的な問題の一つであり、西洋哲学史においては、古代から現代まで、様々な仕方で営々と論じられて来た主題の一つであるから、二言三言でそれに答えが出せるような問題ではないし、ある哲学者に依拠すれば…
来月五日に予定されている講演の骨子はもう固まっていると一昨日書いたが、肉付けはこれからで、講演まで一月を切ったところで、そろそろ少し焦る気持ちが出てきた。しかし、この気持自体はいつものことなので、慣れており、特に心配することもない(と自分…
フランスでは、役所手続き・公共交通機関・公的サービスが何一つ日本のようにスムーズにはいかない。それが普通なのである。とはいえ、最初は、なんで日本のようにいかないのだと腹も立つし、不安にもなる。しかし、そういうことが一日のうちにいくつも重な…
十二月三十一日を提出期限とした修士の二つの演習のレポートの採点を年明けとともに始め、何とか十二日にフランスに戻る前には終えられそうなところまで捗った。それと同時に、二月初旬の日仏共同研修での講演の準備と、締切りが十四日に迫っている今夏の集…
昨年は、九月にストラスブール大への転任、十二月には母親の逝去と、人生の節目となる大きな出来事が重なった。前者は、かねてよりの願いが叶った慶事だが、後者は、母親を失うという誰であれ避けがたい出来事という以上に私には辛い出来事であった。昨年夏…
元日、昨年秋のアルザスでのシンポジウムでご一緒する機会に恵まれた文化人類学者のK先生から、年賀のメールを頂戴した。そこには、昨秋以来の近況と併せて、シンポジウムの際に私に送ると約束してくださったご著書を大晦日に私の勤務大学の研究グループ宛に…