2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧
『かぐや姫の物語』が公開された2013年の『ユリイカ』12月号は、この映画についての特集号で、その中の高畑勲へのインタビューについては、拙ブログでも、2014年8月26日、2018年10月20日の記事で取り上げた。 「草木国土悉皆成仏」という言葉がありますけど…
竹内整一の『ありてなければ 「無常」の日本精神史』(角川ソフィア文庫、2015年)の「おわりに」、村上春樹が2011年6月に「カタルーニャ国際賞」を受賞した際に行ったスピーチ「非現実的な夢想家として」の一節が引用されている(このスピーチの全文はこち…
大伴旅人の著名な歌、 世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり(巻第五・七九三) については、二〇一四年一月十一日の記事で、一度取り上げている。その時の解釈を修正する必要は今特に感じないが、佐竹昭広の「「無常」について」(『萬…
万葉歌人たちが実際にはどのように自らの歌を表記したのか、そもそも作歌の際にどのような手順を踏んだのか、時代・場面・状況・身分その他の条件によって異なったであろうし、とても想像してみるのが難しい。 声に出して詠めば自ずと言葉の響きは心身と共鳴…
佐竹昭広『萬葉集再読』所収の「自然観の祖型」の中に引用された大西克礼『萬葉集の自然感情』第四章「萬葉的自然感情の展開」の一節をそのまま摘録しておく。 或は春の花の散るを悲しみ、或は秋の紅葉のうつろふを嘆き、或は月の入るのを惜しみ、或は雪の消…
萬葉集の自然観に無常観への傾斜が認められることを指摘した先学として佐竹昭広が『萬葉集再読』所収の「自然観の祖型」の中で名前を挙げているのは大西克礼である。そして、白川静『初期万葉論』を取り上げた先日の記事にも引用した『萬葉集の自然感情』(…
実質的に来週の木曜日から始まる修士一年の演習「近現代思想」で唐木順三の『無常』を学生たちと「会読」することはすでに先週の記事で触れた。その準備の一環として、唐木の『無常』ではまったく触れられていない万葉歌における無常観について昨日から調べ…
白川が『初期万葉論』で繰り返し述べているように、自然の生命力を己のうちに取り込む魂振り的機能をもった呪歌に詩の起源を探すべきであるとすれば、そのような呪歌に見られる叙景的要素は、本来叙景そのものを目的とはしてないということになる。 例えば、…
昨日の記事で言及した白川静の『初期万葉論』第四章第五節「叙景歌の成立」には、大西克礼の『萬葉集の自然感情』(一九四三年)からの引用がある。この大西書の初版は、国立国会図書館デジタルコレクションに収録されており、無料で閲覧・ダウンロードでき…
三月に入ると、研究集会等のためにストラスブールを離れる日も何日かあり、月末にはストラスブールでの講演会の準備もあるから、講義の準備の時間も十分に確保できないことが予想される。そこで、この一週間の冬休みの間に以後の講義の準備と研究集会での発…
今すぐ式子内親王について何か書けるほどの準備はできていないが、古典文学の授業で今学期中に和泉式部を取り上げることは計画に入っており、それは『和泉式部日記』の景情一致の場面を取り上げるためなのだが、補足として和泉式部と式子内親王とを対照させ…
先週の水曜日の古典文学の授業で大岡信の『日本の詩歌 その骨組みと素肌』(岩波文庫)の「四 叙景の歌」の第一節を読んだ。そこに例として引かれていたのが式子内親王の和歌「跡もなき庭の浅茅に結ぼほれ露の底なる松むしのこゑ」であったことについては先…
修士一年後期の演習「近現代思想」でどのテキストを講読するか、散々に迷った挙げ句、三年前にも一度取り上げたことがある唐木順三の『無常』に決めた。この選択には、私が指導教官である学生のうちの一人が『蜻蛉日記』を、もう一人が時枝誠記の言語過程説…
もし昨日の記事の内容が、学生全般についての印象と勘違いされてしまっては私の意図に反するので、一言補足を加えておきたい。 当たり前といえは当たり前のことだが、真面目な学生たち、優秀な学生たちも、もちろん毎年必ずいる。多数とは言えないが、各学年…
日本の大学の教育レベルやそのシステムにもいろいろと問題があることは知っているが、問題の深刻さにおいてはフランスも負けてはいない。というか、悪化の一途を辿っているのではないかと、つい悲観的な気持ちになる今日このごろである。現場では、教員たち…
先日の記事で Kindle 購入を話題にしたときに、海外に在住していると日本のアマゾンの電子書籍が購入できないことについて不満を漏らしました。その後、ネット上でVPNを提供しているサイトを探し、セカイVPNというところに仮入会してみました。最初の二ヶ月…
明日の古典文学の授業のテーマは「叙景と抒情」。大岡信の『日本の詩歌 その骨組みと素肌』(岩波文庫、2017年、初版講談社、一九九五年)の中の「四 叙景の歌」の「一」をまず読ませる。この本は、もともと大岡信が一九九四 ・一九九五年にコレージュ・ド・…
毎年二月の日仏合同セミナーのための共通の課題図書を決め、それを日本とフランスとでそれぞれ前年の九月から一学期かけて読んでおく。一昨日そのセミナーが終わったばかりだが、さっそく来年のためのテキスト選びを始めた。日本の四月の新学年開始前に決ま…
今日の記事は短いです。 明日の授業の準備、推薦状書き、大学関係の各種申請書類作成、成績証明書の日本語訳(なんで私がやらなきゃいけないの?)などなど、せっかくの日曜日だというのに、休めないし、気が休まらないんです(同情するなら、金はいらない、…
数ヶ月前から電子書籍リーダー Kindle を買おうかと思いはじめ、折に触れてネット上で利用者の様々な意見・感想を読み、それに影響されて散々迷った挙げ句、ようやく一昨日になって Kindle Paperwhite 32GB の購入を決意し(って大袈裟な)、今日午前中に商…
昨年夏からずっと気になっている日本語の表現が一つある。それは若者たちがよく使う「大丈夫です」という言い方である。それは老人の私には受け入れがたい用法なのだが、若者たちはそれに何の違和感も抱いていない。 ごく一般的な用例として挙げることができ…
昨日今日と、法政大学の哲学科の学生十九名とストラスブール大学日本学科修士の学生十三名(+法政大学からの留学生一人)による年に一度の合同ゼミがあった。私はそのストラスブール側の責任者として、法政大側の責任者の安孫子先生とともにプログラムの司…
以下に書くことは、けっして誰か身近な誰かを念頭に置いての素面の攻撃的暴言ではなく、酔にまかせた一般論的与太話であることをあらかじめご承知おきいただければ幸甚に存じます。 いつも「正しい」意見を仰られたり書かれたりする御仁がいらっしゃるが、正…
昨日の記事を書いていて、ふと思い出したことがあります。 遠い、遠~い昔、ラジオの深夜放送をよく聴いていました。その中の一つに、小室等と吉田拓郎がDJで、小室のさももっともらしい講釈に吉田が絡むみたいな形で進行する趣向の番組があってですね、ある…
「あなたの人生の体たらくにもっともよくあてはまる四字熟語を一つ挙げよ」と問われたならば、瞬時も迷わずに、「自業自得」と私は答えるであろう。 我が人生を要約するのに、これ以上適切な四字熟語があろうか。つくづくそう思う。それにしても実にイヤな言…
本書は、半世紀以上にも渡って死刑囚の教誨師を続けた僧侶渡邉普相(一九三一-二〇一二)の生涯を本人へのインタビューを中心に辿り直したノンフィクション作品である。昨年末から堀川惠子の死刑制度に関する一連の作品を読み始めてこれが四冊目になる。初…
人間はまったく文字どおり人間であるときだけ遊んでいるので、彼が遊んでいるところでだけ彼は真の人間なのです。 シラー『人間の美的教育について』小栗孝則訳、法政大学出版局, 2003年, p.99. Der Mensch spielt nur, wo er in voller Bedeutung des Worts…
前田勉の『江戸の読書会』でホイジンガの『ホモ・ルーデンス』より多く言及・援用されているのがロジェ・カイヨワの『遊びと人間』(Roger Caillois, Les jeux et les hommes, Gallimard, 1re édition 1958, édition revue et augmentée 1967)である。本書…