内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧

大晦日のご挨拶

還暦を迎えた私にとって記念すべき年であった今年(戊戌 つちのえ・いぬ)もあと数時間でその幕を閉じようとしています。個人的には、特にめでたい出来事もありませんでしたが、まずは健康に大過なく一年を過ごすことができたことを何よりも幸いに思っていま…

死刑制度について考えるということ

今日午後、堀川惠子『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』を読み終えた。今朝、堀川惠子の本書に先立つ出版のうち死刑に関係する二冊『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』『永山則夫 封印された鑑定記録』(いずれも講談社文庫、それぞれ2016年、2017年刊…

現代社会の「罪」と「罰」― 堀川惠子『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』を読みながら思うこと

冬休み中ということで、普段のように律儀に連載を毎日書き続けることも予告に縛られることもなく、その日その日に思ったことをより自由に記すことを許されたし。 夜を徹して読書することは若い頃は珍しいことではなかったが、今ではもうそういうことはほとん…

先祖の墓参り

一昨日の記事で翌日にその続きをと予告しておきながら、芭蕉の『野ざらし紀行』の富士川のくだりの別解の話に進めない。ちょこちょこっと参考文献を覗いて仕立て上げるだけの他愛もない記事にはちがいないけれど、書いている本人にはそれなりに下調べの時間…

今年の泳ぎ納め、歯のクリーニング、のんびりと過ごせるこの冬休み

2014年12月はその22日に母が亡くなった。その5日前に私は帰国した。その冬休みは、4週間ほど滞在したが、当然休みどころではなかった。2015年の年末年始の一時帰国は、翌年の大学の新しいポストの審査委員会の委員長だったから、冬休み中も日本にいながらそ…

芭蕉と捨子 ― 井本農一『芭蕉 その人生と芸術』より

タイトルに掲げた井本農一の本の初版は1968年に刊行された講談社現代新書版。23日の記事で取り上げた廣末保の文章の初版『芭蕉』(NHKブックス)刊行の翌年のことである。 井本もこの一条を虚構だとする説に反対する。それに、『野ざらし紀行』には、後に『…

搭乗便の機内から、そして羽田からの移動後

今、ハバロフスク上空である。あと二時間ほどで羽田に着く。空港では、出発二時間ほど前からゲート前の待合席が混み始め、機内は満席。航行は順調。機内では映画を二本見た後、寝た。熟睡はもちろんできないが、自分のヘッドフォンでノイズキャンセラーをか…

クリスマス・イヴの午後、シャルル・ド・ゴール空港に向かうTGVの中から

十五時一分ストラスブール駅発のTGV に先ほど乗り、今車中でこの記事を書いている。クリスマス・イブの午後に長距離の移動をしようとする人は少ないようで、一等車には数人しか乗っていない。もっとも、空港駅の手前に二つ停車駅があるからそこからの乗客も…

芭蕉と捨子 ―『野ざらし紀行』の富士川のくだりをどう読むか

木曜日の古典文学の講義で芭蕉の紀行文を紹介したとき、『野ざらし紀行』の富士川のくだりを引用した。 富士川のほとりを行くに、三つばかりなる捨子の哀れげに泣く有り。この川の早瀬にかけて、浮世の波をしのぐにたえず、露ばかりの命待つ間と捨て置きけむ…

来年前半の演習・講演・発表の予定について ― 哲学・生命・宗教

来年前半に予定されている演習・講演・発表のことを先日来ぼんやりと考えている。それらをすべてを一つの主題をめぐって関連づけるようにしたいと思っている。 その核になるのが3月14日にリル大学で行う発表である。この発表は、「宗教的生の現象学」という…

年内最終授業、あるいは百人一首源平散らし取り混合戦

今日金曜日が年内最後の授業だった。今週、他の大半の授業は試験日だったが、私は先週パリ出張で一回休講にしたので、今日まで授業を行い、年明けの前期最終週に筆記試験を行う。と言っても、年明けの試験日に小論文を提出させ、当日の筆記試験では自分が小…

「彼は誰時」の哲学、真昼の哲学、黄昏時の哲学、そして深夜の哲学

先週金曜日のパリの出張の際、シンポジウムで司会を担当するセッションの開始時間まで少し余裕があったので、会場の EHESS のすぐ近くの Les Belles Lettres 出版社の本屋さんに立ち寄った。ここ数年、ネットで本を購入するようになってからは、新本を書店で…

夢中に現成する忘れ難き事 ― 道元の一偈頌に触れて

岡潔の随筆集『夜雨の声』を取り上げた昨日の記事の中で言及した道元の偈頌について、大谷哲夫『道元「永平広録 真賛・自賛・偈頌」』(講談社学術文庫、2014年)に依拠しつつ、若干の感想を記しておきたい。 偈頌とは、「仏法の教説の一段または全文の終わ…

ささやかな創造の喜び ― ブログを続けることの意味について

岡潔の随筆集『夜雨の声』(「やうのせい」と読む。山折哲雄編、角川ソフィア文庫、2014年)には、その書名として山折哲雄によって採用された「夜雨の声」をその表題としてもつ随想集が巻末に収められている。「夜雨の声」というタイトルは、道元の偈の一つ…

Facebook の効用の一つ ― 「生きているよ」というサイン

拙ブログは、Twitter と外部連携してあるので、記事をアップすると自動的にTwitter にもその記事のタイトルとリンクがアップされます。Facebook の方もそうなっていたのですが、この夏以降、なぜか外部連携できなくなってしまいました。それで仕方なく、毎日…

夜明け前の微光の不安、あるいは我が身の行く末も知れぬ暁の「かはたれ時」

夜来降雪、早朝積雪二三寸。此冬初哉。今朝水泳如常。之云雪中泳。泳人諾希少也。 昨日読んだ防人歌二十首余りのうち、特に心惹かれたのは次の一首。 暁のかはたれ時に島陰を漕ぎにし船のたづき知らずも(二十・四三八四) 天平勝宝七年(七五五)二月、前年…

年の初めに掲げた三つの目標の達成状況

今年の年頭に掲げた私的な年間小目標三つのうち、水泳二千回は三月中に達成し、その後もかなり規則的通うことができ、今日で年間247回となり、年間240回という目標もすでにクリアしている。二つ目の目標は、萬葉集全歌通読であった。月によってかなり不規則…

学会のためのパリへの日帰り出張

今日は一日パリへの出張であった。二年一度のフランス日本学会(Société française des études japonaises=SFEJ)の総大会で、セッションの一つの司会を頼まれていたからだ。その発表は四つ。それぞれ持ち時間は発表・質疑応答合わせて三十分、計二時間のセ…

「翻訳に「おしゃべり」も「でしゃばり」も「ひとりよがり」もいらない ―ドナルド・キーン『日本文学史 近世篇一』「序 近世の日本文学」の邦訳について」

今年度から開講された学部最終学年通年必修科目の一つ「古典文学」の講義は、シラバス風に言えば、二つの学習目標を掲げている。一方で、古典文学を鑑賞するために必要な文学的基礎知識を身に付けた上で代表的な作品の原文に接すること。他方で、日本文学史…

昨晩のストラスブール市内銃乱射事件について

この不幸な出来事の犠牲になられた方たちに心からの哀悼の意を捧げるとともに、突然その最愛の家族失われたご遺族には謹んでお悔やみ申し上げます。 事件を知ったのは今日の早朝、日本の友人からの安否を気遣うメールによってだった。慌ててネットで事件につ…

パスカルから離れ、« suppôt » を導きの糸として、ヴァンサン・デコンブとリュシアン・テニエールを経て、西田哲学へ

昨日の記事で引用したパスカルの断章に見える « suppôt » という言葉に私が特に注目したのには、もう一つの哲学的理由があった。 2004年に出版された Vincent Descombes (1943-) の Le complément de sujet. Enquête sur le fait d’agir de soi-même, Gallim…

人間、それは実体なき唯名論的「主体」である

12月6日の記事で引用した『パンセ』の断章(ラフュマ65、ル・ゲルン61、セリエ99、ブランシュヴィック115)の原文をもう一度ここに引き、その後に前田陽一訳を付す。 Diversité. La théologie est une science, mais en même temps combien est‑ce de scienc…

唯一の必要なものへと導く方便としての多様性と破滅へと導く安楽のための多様性

パスカル『パンセ』において多様性の相対的価値が端的に示されているのは、「表徴 Figures」と題された以下の断章である。 Dieu diversifie ainsi cet unique précepte de charité pour satisfaire notre curiosité qui recherche la diversité, par cette d…

パスカルにおける多様性についての考察途上で発生したスピンオフ的断想

パスカルの『パンセ』に即して多様性について考察しようと、あれこれ参考文献を読んでいるうちに、以下のような断想が発生したので、それを「スピンオフ」としてそのまま書きつけておく。 宗教に関して、狭隘な教条主義や排他的な原理主義を否定し、信仰の多…

人間の惨めさの徴表としての多様性志向

昨日の記事の最後に引いたパスカル『パンセ』の断章のテーマ「多様性 diversité」について、同じく昨日の記事で言及したサイトに、以下のような注解が付されている。 Le fragment ne traite de la théologie qu’en apparence. En réalité, Pascal traite ici…

断章間散歩の愉しみ ― パスカル『パンセ』の場合

12月1日の記事でヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』を話題にしたとき、その中にフランス語のまま引用されているパスカル『パンセ』の一文 « Ce chien est à moi » が含まれている断章の原文を掲げた。 『パンセ』を読むときは、セリエ版をまず手に…

仏語版電子書籍に散見される困った誤植

日本語版ほどではないが、英仏語の電子書籍も以前に比べればよく使うようになった。ただ、日本語の電子書籍を購入する理由の一つとしては、日本から紙の本を取り寄せるとお金も時間も余計にかかるということもあったが、これは英仏語の本には当てはまらない…

電子書籍を使いはじめてから気づいたその利点

昨年10月から、主に講義のための参考文献として日本語の電子書籍をよく使うようになり、この一年あまりで440冊ほど購入した。授業で複数の文献をそれぞれちょっと参照したいとき、すぐに必要な箇所だけスクリーン上に自由に拡大表示できるのは実に便利だ。コ…

氷のように冷たい言葉「僕のもの、君のもの」

聖ヨハネ・クリゾストムは、ギリシア教父の中でその説教の雄弁さにおいて際立っており、今日でも崇拝の対象になっているようである。説教の言葉であるがゆえに、書かれた文章としてそれらを読むと、繰り返しが多いと感じざるを得ないが、実際に肉声で説かれ…

「僕のもの、君のもの」という格差原理が追い払われた修道院の「平安な」共同生活への頌歌

聖ヨハネ・クリゾストム仏訳全集第一巻の「敵対者たちに抗して」というタイトルの下にまとめられらた教説の一つ「修道院生活について」の中に « le tien et le mien » という表現で、自他の所有を区別する世俗社会の原理に言及している箇所がある。その箇所…