内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

科学者の散文の美学

河出文庫から2013年に出版された中谷宇吉郎『科学以前の心』の解説「科学という詩」の中で、編者である福岡伸一は、中谷宇吉郎の有名な言葉「雪は天からの手紙である」について次のような独自の解釈を提示しています。 これは、一般には、雪の結晶構造を調べ…

平明で美しい日本語で綴られた科学書の古典 ― 中谷宇吉郎『雪』

昨日紹介した『雪月花のことば辞典』の第一部「雪のことば 付(つけたり)霜と氷のことば」のの「はじめに 雪――天から送られた手紙」の冒頭に、世界的な雪氷学者として知られた中谷宇吉郎の古典的名著『雪』からの引用があります。引用されているのは雪の定…

『雪月花のことば辞典』(角川ソフィア文庫)― 今月の文庫新刊より

先日来の雪に誘われて、角川ソフィア文庫の今月の新刊『雪月花のことば辞典』(宇田川眞人=編著)を購入しました。「人々の心情と文化、歴史が結晶した雪月花のことば全2471語を三部構成にして収録。古今東西の自然と暮らし、祭りと習俗、詩歌や伝説に触れ…

雪の日の断想 ―『遠隔寺僧房日録』より

昨日は早朝から雪が降り始め、午前八時過ぎには人通りのない地面には数センチ積り、なおも降り続いていました。九時半にいつものカットサロンに予約を入れてあったので、雪が降りしきる中、歩いて行きました。まだ誰の足跡もついていない真っ白な遊歩道を、…

仮象として遍在するリモートな〈私〉の存在の耐え難い軽さ ―「接続」は「繋がり」ではない

数年前からテレビ会議を使って日仏合同ゼミを企画しようと試み、実際にはトホホな結果しか残せなかったことは認めるとして、地球の反対側にある国同士の間の合同遠隔授業をとにかく実践しようとしてきた老生としては、ちょっと格好つけて言えば、やっと時代…

「一物も貯へず、其身其儘なり」― 江戸時代、旅に生きたマルチタレントな女性、田上菊舎

無知は無知なりに楽しい。他の人が知っていることを聞いて、「へぇ~」「ほぉ~」「えっ、うそ!」と感心したり驚いたりして、その都度世界がちょっと広がったような気がする。傍から見ればただのおバカかも知れないが、本人が嬉しければそれでよいではない…

神なき時代の終わりなき終末論的世界の只中にあって、「ぐじぐじ」話すのはやめようと思ったのですが…

いつまで続くかわからないコロナ禍の渦中にあって、いずこにあっても皆様不安な毎日をお過ごしのことと拝察申し上げます。皆様におかれましては、どうぞできる範囲で気持ちを健やかに保ち、この困難な状況をなんとかノラリクラリと生き延びられますよう心よ…

女子会の起源は江戸時代にあり?

以下、どうでもいい話である。 「女子会」という言葉は、いったいいつごろから使われ始めたのだろうか。ちょっと気になって、ジャパンナレッジで調べてみた。イミダス2018の説明が一番詳しかった。 女性限定で気の置けない仲間が集まって、おしゃべりを楽し…

旺盛な好奇心が歩かせ、歩くことが気を養う ― 神沢杜口の健康法

立川昭二『日本人の死生観』の「足るを知る――神沢杜口」の章からの摘録を続ける。それに昨日の記事のごとく若干の感想を付す。 神沢杜口の生き方は遁世ではない。厭世的でもない。行脚に出るのでも、旅に生きるのでもない。田舎暮らしではなく、都会暮らしを…

「仮の世は、かりの栖こそよけれ」― 神沢杜口における引越しの美学

立川昭二の『日本人の死生観』を読むまで、私は神沢杜口を知らなかった。本書に取り上げられた十二人の人物の中では、知名度はもっとも低いと言っていいだろう。しかし、神沢杜口に充てられた一章は生彩に富んでいる。西行、鴨長明、兼好法師にそれぞれ割か…

人の身に止むことを得ずして営むところ、衣・食・住・薬 ― コロナ禍の只中で読む『徒然草』

教育と研究のために読まなくてはならない文献のことは措くとして、自分ひとりの愉しみのために愛読書を繰り返し読むだけにするとしても、そしてそれを日本の古典に限るとしても、読みたい本の数は少なくない。これもまた憂き世に彷徨う者の消し難い煩悩であ…

数奇に生きる美的な往生 ― 鴨長明『発心集』より

今朝、本棚に並んでいる本の背表紙を眺めていてふと目に止まった立川昭二の『日本人の死生観』(ちくま学芸文庫 二〇一八年 初版 一九九八年)を手にとって読み始めた。本書には、短絡的とまでは言わないが、いささか性急とも見える図式的な断定も少なからず…

風景に対する感性の可変性について ― 「あたらしい世界のひらけ」としての明治大正期の鉄道

私たちはどうしても自分自身の感性に応じて風景を見てしまう。風景への眼差しは、しかし、感性のみに依拠するものではない。その風景にまつわる想い出や連想によっても、その立ち現れ方は違ってくるだろう。それだけではない。風景を構成する諸要素に関して…

耳を澄ます、匂いを嗅ぎ分ける ― 柳田國男『明治大正史 世相篇』より

私が暮らしているのは、ストラスブール市北東部で欧州議会から徒歩数分のところにある住宅街である。いわゆる都会の騒音とは無縁な閑静な地区である。車の音も遠くにしか聞こえない。いささか閉口する騒音と言えば、春以降夏にかけて隣家が使う電動芝刈り機…

風土的自己了解の要素としての都市の音と匂い

修士一年生たちが口頭試問のために先週行った「風土と都市」というテーマでの個別発表はそれぞれに面白かったのだが、その中で特に私の印象に残ったのが、高校まではずっと小さな村に住んでいて、ストラスブールがはじめて住む「大都市」だという女子学生の…

背徳の香りさえ漂う雪あかり ― 遠隔寺僧房異聞

一昨日、フランス北東部の広範囲に渡って一日雪が降り続き、ストラスブールでも積雪量は場所によって三〇センチに達しました。昨日は日中晴れましたが、気温はわずかに零度を超える程度。今日は零下六度まで冷え込み、日中も零度を下回ったままでした。今日…

風土と都市 ― 前期最終口頭試問を終える

今日が実質的に今年度前期の最終日でした。私が前期に担当した学部最終学年の三つ授業は、昨年十二月はじめにすべて終え、試験も予定通り年内に行い、提出期限を年末としてあった最終課題レポートの採点と合わせて一月十日に学部の授業についてはすべての採…

心が渇いたときに読む藤沢周平 ―「山桜」

喉が渇きを覚えたときに水分を欲するように、心が渇きを覚えたときに読みたくなる文学作品が皆さんにもあるのではないでしょうか。それは、詩歌あるいは散文作品、古典あるいは近現代の作品、日本語あるいは外国語など、さまざまでしょう。 それらの作品に関…

『遠隔寺職掌日誌断片』より ―「自己の必然的なる没落を認識するためには勇気がなければならぬ」

昨日、学部長会議において、少なくとも二月半ばまでの遠隔授業が決定される。向後、十人以下の少人数の実習及び補習のみ対面が許可される。 同日、弊学科会議において、後期開始を原則二週間遅らせることを決議する。後期後半での対面授業の回数が増えること…

声とは何か

竹内敏晴の『教師のためのからだとことば考』(ちくま学芸文庫 一九九九年)の中の「人が人へ話しかけるということ」と題された節にこう書かれています。 わたしたちは、音は、科学的にいえば空気の振動であることを知っています。この場合、声は音としては…

耳で読む歌

母音優位の言語と子音優位の言語という分け方に言語学的にどこまで妥当性があるかはわからないが、日本語にとって母音がきわめて重要な要素であることは間違いないだろう。しかも、欧米言語に比べて極端と言っていいほどに母音の数が少ない。万葉時代には平…

フランス人学生諸君に告ぐ、「君たちのフランス語、もうちょっとなんとかなりませんか?」 追伸 日本の若者たちよ、君たちは大丈夫かな?

日曜日の今日、昼過ぎに前期期末試験の答案の採点をすべて終えました(バンザ~イ三唱)。あとは成績を事務に送信することと学生たちに個別に成績とコメントを送ることだけです。それは明日月曜日、最終確認を入念にした上でいたします。当初の計画より四日…

〈声〉を取り戻すために ― 竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』再読

一昨日の記事で話題にした五冊の本が早く読みたい一心で試験答案の採点に集中して取り組んだら、存外に作業が捗って、あと十四枚を残すばかりとなりました。こういうところにも昨日の記事で話題にした単純な心性が効果を発揮しております。 竹内敏晴の『こと…

やがて消え入る老いの繰り言、あるいは虚空に漂うテツガク的戯言

今更なのですが、自分自身について、今日、こんなふうに思いました。 客観的に見て結構過酷な状況に置かれても、わりと平気でいられるのは、少なくとも医者にかからなくてはならないような病的な状態に陥らずにすんでいるのは(あくまで心もとない自己診断に…

日本から本が届く ― 源氏物語、ことばとからだ、宮沢賢治、時間の比較社会学

今日の昼、三日に日本のアマゾンに注文した五冊の本が届いた。いずれも文庫本だが、安くはない送料を払ってまで注文したのは、それらの本には電子書籍版がないこともあるが、紙の本を手に持ってゆっくりとじっくりと読みたいというのがその主たる理由であっ…

採点、書写、読書

昨日までに百十五枚のレポートの採点とコメントが終わり、採点作業として残っているのは七十枚の試験答案だけとなった。レポート未提出者が何人かおり、その分予定枚数より少なかった。ともかく先が見えてきてほっとしている。 答案七十枚の内訳は、「近代日…

書写には心の乱れを鎮める効果がある

先程、ふと、思い立った。そうだ、書写をしよう、と。 昨年来、本を読んでも、音楽を聴いても、それだけでは乱れた心を鎮めるには何か足りないという気がしていた。自分の手あるいは体を動かす、あるいは声を出すなどの積極的な身体的動作が欠けていた。かと…

教室での学期末試験始まる

今日がノエルの休暇明けの初日。今日から教室での期末試験が始まった。私自身は会場の試験監督はせず、自宅でのテレワークに明け暮れた。夜、試験監督を指揮した同僚から、今日予定されていたすべての試験は滞りなく終了したとの報告を受けた。幸いなことで…

休暇最後の一日 ― 初雪、雪中泳、幻の雪見酒

今日は早朝から小雪が降っていました。昨年十一月以降、ノエルの前後にも、市内ではまったく雪が降らなかったはずですから、そうだとすれば今日の雪がストラスブールでのこの冬の初雪になります。近所では、畑地など土がむき出しになっているところや草木は…

ライン川の彼方の上空に曙光を求めて

元旦の昨日、ライン川の彼方のシュヴァルツヴァルトの稜線上に現れる初日の出を写真に収めようと、自宅からライン川のほとりまで歩いていきました。自転車ならば十五分足らずで川岸まで行けるのですが、川沿いの土手を数キロ歩くうちに空が白み始めるのを見…