内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「日本の文明と文化」前期最終講義 ― 千年を越え、国を超えて、感動させるもの

今日、「日本の文明と文化」の前期最後の授業でした。今学期全十二回の授業の内訳は、対面七回、遠隔五回。 普段通り、まず日本語ワンポイント・レッスン。前回に引き続き、本多勝一の『日本語の作文技術』から一部抜粋して、文章の書き方を学ぶ。今日は第三…

家事と哲学とのゼッタイムジュンテキジコドウイツ

先週末と同様、土曜日に翌週の授業の準備を済ませ、今日日曜日は、十二月一日が締め切りの原稿執筆に集中しました。一歩も外出しませんでした。午後三時過ぎに原稿ほぼ完成。ホッとしました。明日一日もう一度推敲してから編集者の方に送信します。 速筆、遅…

やっと前期の終わりが見えてきた ― 他愛無記

今日から外出制限令が緩和された。運動のための外出も一時間から三時間に延長され、自宅から半径一キロ以内だった外出許可範囲も二十キロ以内と大幅に拡大された。 今日はよく晴れた一日だった。気温は、朝零度、日中は三度まで上がった。午前中、雑務を片付…

表層と深層の両方での遠隔相互作用性 ― I ♡ Japan から遠く離れて

今日の記事のタイトルは、何やら小難しそうですが、実のところ、半分はただのこけおどしです。 先日の記事で話題にしたように、今月初めの遠隔授業への移行以来、授業前に音楽を流しています。その音楽の選択はまったく私の趣味によります。今日の「近代日本…

「これから」を生きるために ― 桜井徳太郎『民間信仰』(ちくま学芸文庫)を読みながら

日本の民間信仰について学生たちに推薦できる基礎的な文献として紹介しようようと思って、桜井徳太郎の『民間信仰』(ちくま学芸文庫 2020年 初版1966年)を読んでいて、つい引き込まれてしまった。岩本通弥の解説にある通り、その論述は「明快で溌剌として…

風土と宗教 ― 反風土的なものとして普遍宗教と親風土的なものとしての民間信仰・異端信仰

先週水曜日に修士一年生たちに次のような課題を出した。「フランスあるいはヨーロッパに古くからある民間信仰あるいは中世の異端信仰とキリスト教との関係について、具体的な例を挙げて説明してください。」 一見すると、今学期の共通課題図書である和辻哲郎…

遠隔授業開始前のリラックス・タイム

遠隔授業に全面的に移行してから、この月曜日で四週間目に入った。もうほぼ間違いなく、ノエルの休暇までこのままだ。年明け一月四日以降の二週間が前期末の試験週間になるが、その期間についても、教室での試験が可能なのかどうか、まったく予断を許さない…

日本語学習者たちによって拡張されてゆく日本語

学生の日本語の文章を添削していて、ときどき意想外の表現に出会ってハッとさせられることがある。それらの表現は、熟知した日本語を駆使して巧んだ結果として生まれた表現というよりも、日本語での通常の表現に縛られずに、というよりもそこまでの知識がな…

佳き日曜日の記

今日日曜日、午前四時からから十一時過ぎまで、論文執筆に集中した。昨日までに明日の授業の準備その他月曜日までにやっておかなければならないことを済ませ、論文執筆のための時間を作った。四百字詰め原稿用紙にして三十五枚(いまだにこうして数えないと…

「木の葉なき空しき枝に年暮れて」― 京極為兼の光芒

自分の心に向き合い続けるのは、ときにしんどい。そうすること自体が心を蝕んでしまう。扉も窓もない部屋のような心の中で人は生きることはできない。考えることは、それが心的閉鎖空間を突き破るかぎりにおいて意味がある。だが、それだけのエネルギーが身…

憎しみはどこから来るのか

人はいつ憎むことを学ぶのだろうか。生まれて最初に懐く感情が憎しみではないことは確からしいことだ。憎しみとともに生まれてくる赤子はいないだろう。たとえ難産の末に生まれたとしても、その最初の困難が直ちに憎しみという感情をもたらすわけではないだ…

「横議」「横行」「横結」は現代社会で再び可能になるだろうか ― 藤田省三「維新の精神」再読

明日の授業の準備のために藤田省三の「維新の精神」を再読した。「横行」という言葉が頻繁に出て来る。今日の日本語では、「おうこう」と読み、「勝手な振る舞いが盛んであること、ほしいままにはびこること」という悪い意味で使われるのが普通だ。この意味…

修士課程在学中の学生の中に本当に勉強したい学生はいったい何人いるのか

修士の二年生には、ここ数年、フランス語で彼らが書く修士論文から一つテーマを選ばせて、日本語で小論文を書かせていることは、過去に何度かこのブログで取り上げた。 最初は、それぞれの小論文から特に問題になる箇所のみ、教室で学生たち全員を前にして行…

第二回日仏ZOOM合同ゼミの報告 ― 逸脱的「アクティブ・リーディング」の試み

今日の午前9時から10時半まで第二回目の日仏合同ゼミが行われた。前回よりも三十分延長した。構成は基本的に前回と同じく、個人発表、ブレイクアウト、報告・総括の三部構成。まず、ストラスブール側の二人で一つにまとめた発表。続いて法政側が二人の個人発…

現代哲学が忘却した広大無辺な内面世界を今新たに探索すべきとき

遠隔授業・会議の利点の一つは、そのための移動時間を必要としないことだ。その直前まで別のことをしていることができる。終わった直後に教室・会議室を離れ、別のヴァーチャルな場所に瞬時に移動できる。あるいは、自宅での生活に戻れる。現実の教室や会議…

外出禁止令下、冬の日の散歩道の混雑

ほぼ毎日一時間、ウォーキングのために外に出ているが、三月から五月にかけての外出禁止令のときと大きく違うのは、日がどんどん短くなっていくことである。それを日に日に実感している。それは、日没時刻が日一日と短くなっていくことが空を見ていてわかる…

長い一日を祝福で終えることができた喜び

昨日は、午前十一時から午後六時過ぎまで、まったく切れ目なしに授業三つと博士論文の公開審査が続いた。ちょっときつかったが、なんとか無事乗り切った。三つの授業の合間にそれぞれ十分間の休憩を取った。ちょっとコーヒーを飲むとかトイレに行くとかでそ…

「さわる」と「ふれる」の意味の差異を古典語に遡って調べてみると

伊藤亜紗の最新刊『手の倫理』の序は、「さわる」と「ふれる」という触覚に関する二つの動詞の用法と両者の意味の差異を実例に即して考察することから始まる。この予備的考察を前提として、「倫理」「触覚」「信頼」「コミュニケーション」「共鳴」「不埒な…

グーグル日本語入力についての無駄口一言 ― 意想外の変換候補もまた愉しからず哉

今日は、超多忙につき、無駄口一言のみにてお暇させていただきます。 普段、グーグル日本語入力を使っています。「変換の煩わしさを感じさせない思いどおりの日本語入力を提供します」というのが謳い文句であるが、「話半分に聞いとこか」というのが率直な感…

冷気に触れて冴え返る頭で思考の途を切り開け

今日は、Armistice(第一次世界大戦休戦記念日)で国の祝日だが、私にとっては休みではない。先週月曜日から来週金曜日までまったく休みがない。理由は、11月2日に遠隔授業に移行したからだけではない。授業の外に、博士論文の公開審査、修士の特別演習、個…

伊藤亜紗『手の倫理』と渡部泰明『和歌史 なぜ千年を越えて続いたか』を読み合わせることで開かれる視角

最近というか、もう何年もと言うべきだろう、一冊の本をゆっくりと時間をかけて読んだことがない。この夏も、ホメロス大全を、結局、ごくわずかしか読めなかった。カエサルの『ガリア戦記』の新仏訳もちょっと触れられただけ。どちらも仕事机からすぐ手の届…

悩ましき遠隔試験

今日から遠隔授業第二週目が始まった。第一週の先週は、今回がはじめての遠隔授業だった教員も数人いたにもかかわらず、全体としてさしたる問題もなく終えることができた。 すでに万聖節の休暇中から教員間で話題になっていたことは、試験をどうするかという…

日仏独をZOOMで繋いだ遠隔ワークショップ「越境する日本語・日本文化──言語文化の多様性をもとめて」最終日

日独仏をZOOMで繋いだ三日間の遠隔ワークショップ « 3rd EU Japan Workshop / 2020 International New Generation Workshop » (Consortium for Global Japanese Studies (CGJS)・Hosei University Research Center for International Japanese Studies (HIJ…

小論文添削道場主からのメッセージ

今週の日本語小論文のお題は、「他人のつらさを自分のつらさのように感じることはできるでしょうか」であったことは今月二日の記事で話題にした。授業で吉野弘の「夕焼け」を朗読し、『この世界の片隅に』の漫画原作とノベライズを一部解説した上での出題で…

場末の得体のしれないディスカウントショップのオヤジのような教師としての私

今日金曜日は、午前十一時から午後三時半までの遠隔授業三連チャンの前に、午前九時から遠隔ワークショップにオブザーバーとして参加したこともあり、かなりハードな一日だった。ワークショップはただ聴いていただけだから、疲れはしなかったけれど、普段な…

講義の準備に明け暮れた一日

今日は午前四時から午後七時まで、午後に一回荷物を取りに出かけた以外は、明日の授業の準備に充てた。 明日は、通常授業の他に、各専任が回り持ちで一回担当する修士の方法論の演習があるので、その準備の時間も確保しなくてはならなかった。ところが、通常…

日本語で考えるための小論文演習

昨日から始まった修士二年の演習(全六回)は、その名も « Technique d’expression écrite » である。約二ヶ月間で2000字の小論文を書かせる。長くはないが、その分何度も推敲させる。テーマは、自分の修士論文の問題系から、学生たち自身が自分で選んだ一つ…

話すように書くことはできないが、書くように話すことはできる ― 学生たちの文章修行

学部三年生の授業でも修士の演習でも、文章を書く練習は私が学生に課すもっとも重要な作業である。もちろん彼らのレベルに合わせてのことだが、日本語である程度まとまった文章をかなり頻繁に書かせる。 それは単に書く力をつけさせるためではない。書く力を…

前期後半戦遠隔授業で開始 ― 他人のつらさを自分のつらさのように感じることはできるか

万聖節の休暇明けの今日から遠隔授業が一斉に始まった。休暇中に遠隔への全面的な移行が決まったから、いくらかは準備の時間があったし、すでに三月からの第一回目の大学閉鎖時の経験があるから、初日の今日、教員の側にも学生の側にも、大きな混乱はなかっ…

雨の万聖節の徒然 ― 海の藻屑の独り言

昨日のハローウィン、昨年は仮装した近所の子どもたちが私の家にもお菓子を貰いに来たが、昨夜は誰も来なかった。こんなところにも外出禁止令の影響が出ている。 古代ケルト人のサムハイン祭がハローウィンの起源といわれる。これは死の神サムハインを讃え、…