内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

夏の終わりの自省録(3)

日本人の友人が、一種の精神安定剤のように折にふれて読んでいる、特にパリで留学生活を送っている時はそうだったと話してくれた精神医学者中井久夫の文章を、この7月から私も少しずつ読み始めた。今夏の日本滞在の折に、「ちくま学芸文庫」として刊行されて…

夏の終わりの自省録(2)

家系を見るかぎり、父方にも母方にも精神疾患を患っていた者は親族間には見当たらず、遺伝形質的に見ても、何らかの精神疾患への親和性を示す要素はないと思われるし、他者から対人関係上のなんらかの異常性を指摘されたこともないし、ましてや精神科での治…

夏の終わりの自省録(1)

8月も終わりを告げようとしている今、新学年の仕事始めを目前にして、ここ数ヶ月の自分のことを少し振り返り、気持ちを整理し、気分を切り替えておきたい。そのためには自己分析作業を必要とするが、その作業自体を目的とするものではなく、それを経た上で、…

宮澤賢治作品における現象学的記述(承前)

昨日になってやっと〈虚〉と〈空〉についての仏語原稿の仕上げにとりかかった。テーマそのものによって足を掬われてしまいかねない危うさを常に感じながらの推敲。だが、他方で、「虚空の開け」ということを思う。何故ということなくふと空に眼差しを向ける…

宮澤賢治作品における現象学的記述

今日8月27日は、宮沢賢治の生まれた日である(1896年)。それにちなんで、今日の記事は宮澤賢治について。 2010年に弘文堂から『宮澤賢治イーハトヴ学事典』が刊行された。この事典の特徴は、賢治作品読解のためのキーワードや既存の宮澤賢治研究を網羅的に…

世阿弥の〈花〉の現象学的分析

昨日の記事で話題にしたヴィスマンの「自由と形式」の話は、発表の枕にときどき使うのだが、2008年9月に勤務校で開催された能についてのシンポジウムと公演に発表者の1人として参加した時もそうだった。その時の発表のテーマは、「能の舞台における身体的所…

自由と形式 ― 独仏間の文化的差異について ―

2005年からのことだったと思うが、東京のある私立大学が科研費を使って「哲学教育」についての総合的研究を行った。その一部は、独仏の哲学者それぞれ4人ずつに対して行われた「哲学教育」についてインタビューから成り、フランス語でのインタビューを日本語…

西田とパスカル ― 交叉的読解の試み ―(承前)

昨日は、パリでも久方ぶりに日中の最高気温が夕方5時過ぎに30度に達する。その時の湿度は30%を切っていた。しかし、街路樹のマロニエの葉はすでに落ち始めていて、枝に残った葉にも黄ばんだのが目につく。この夏の終わり、ヴァカンスの終わりを告げる光景を…

西田とパスカル ― 交叉的読解の試み ―

現在勤務する大学に赴任してから7年半になるが、赴任の年2006年の秋にその勤務大学で「交差する文化」というテーマで国際学会が開かれ、そこで私も発表した。自分の専門領域でこのテーマにできるだけ相応しい発表にしようと思い、西田のパスカルの読み方の特…

誕生日メッセージへの感謝の返事

Facebookを始めた2009年の翌年2010年の夏のことだったか、フランスで教えている学生あるいは卒業生たちから私の誕生日に祝福のメッセージが多数届き、そんなことは全然予期しておらず、1人1人に御礼の言葉を送るのはちょっと大変そうで、でもせっかく送って…

「汝自身を知る」ことはできるのか ― ポール・クローデルの演劇論的ソクラテス批判(承前)

昨日からの続きで、ポール・クローデルによる自作戯曲『堅いパン』の解説講演の内容紹介。以下、文中の「私」はクローデル自身を指す。 どのような人格であれ、自分がそこに属するドラマ全体の調和なしには、自分の中にある共鳴装置を振動させる外からの呼び…

「汝自身を知る」ことはできるのか ― ポール・クローデルの演劇論的ソクラテス批判

フランスの詩人・劇作家ポール・クローデル(1868-1955)は、『堅いパン(Le pain dur)』という複数の世代にまたがる民族間の争いをテーマとした戯曲を第1次世界大戦中に仕上げ、休戦の年1918年に出版しているが、その翌年の5月に、ある劇場でのその戯曲の…

無事帰国

先ほど無事パリの自宅に帰り着きました。日本で連日の酷暑(いつまで続くの?)にうんざりしている皆さんには大変申し訳ございませんが、一応今日のパリの天気について一言ご報告させていただきます(誰も聞いとらん)。シャルル・ド・ゴール空港到着時の午…

セラピーとしてのブログ ― この夏の日本滞在の終わりに

今晩、21時55分成田発のエール・フランス277便でパリに戻る。記録的な酷暑をたっぷりと味あわせてくれた我が愛する祖国日本ともまたしばらくお別れだ。帰ったら、その日の朝から片付けていかなくてはならない仕事の山が待っている(おお、時よ、止まれ。遠ざ…

歴史の中に自分を〈書き込む〉― 思想史の方法論について(承前)

「哲学とは、哲学史である。」パリ第1大学(Université Paris 1 Panthéon-Sorbonne)のある哲学の教授が常日頃講義でこう言っていたと、今日本で九鬼周造についての博士論文を準備中のフランス人学生が私に話してくれたことがある。この端的な表現で教授が言…

歴史の中に自分を〈書き込む〉― 思想史の方法論について

昨年来、講義や研究発表などの機会に、思想史の方法論について話すことが多い。それは、一方では、研究方法について自分自身に向かって問いを立てるためであり、他方では、一緒に勉強あるいは研究している大学院生や若い研究者たちに対して方法論についての…

受容可能性の哲学 ― 世界に心を身体で〈書き込む〉 ―

いよいよ(というのもちょっと大げさですが)、「お盆休み中特別企画」の締めくくりとして、その第3弾を記事として投稿いたします。 昨日の記事で話題にしたアルザス・欧州日本学研究所での研究集会への参加依頼があったとき、それに応ずるために3つのテーマ…

戦争と哲学者 ― 哲学的抵抗とその挫折 ―

今日が終戦記念日だから特に上記のテーマを選んだというわけではありません。13日から始まったことになってしまった(って、誰のせいでもありませんが)、このブログの「お盆休み中特別企画」の第2弾の内容がたまたまこの日に「相応しい」テーマだったという…

テキストの地層学序説(承前)

12日深夜に車で東京を出発して、山中湖を見下ろす高台にある知人の別荘に遊びに行き、そこで2日間にわたって、経営学の大学教授である知人、哲学科学部4年生で卒論準備中のその子息、そしてその哲学科の助手の3人と、初日は暁方まで、2日目は午前2時半まで…

テキストの地層学序説

今日から16日までの4日間、お盆休み中特別企画として(って誰が決めたのでしょう?)、これまでとこれからの私の研究発表の中から、そのいくつかについて要旨あるいはプランを紹介させていただきます。 「テキストの地層学序説」というタイトルで、パリでは…

思想の地形学 ― ライン川流域神秘主義

パリで教えるようになる以前、1996年から2000年までの4年間、パリから東に約500キロ、フランス東端ライン川の辺りの街ストラスブールに住んでいた。大学院博士課程の留学生として、最初に暮らした外国の地がこのストラスブールで、とりわけ深い愛着がこの街…

何やらゆかし

フランスのノルマンディー地方にある Cerisy-la-Salle という村に、もともとお城だった建物とその周囲の建物を宿泊施設として改装して、毎年多数の研究集会が行われている文化センターがある。このセンターの創設は1952年だが、別の場所での前身の活動の歴史…

蝶の影

暑い。実に暑い。自分の出身校である区立中学校が実家の坂下、徒歩1分のところにあるが、夏休み中、プールの一般公開を実施していて、火曜日から毎日通っている。屋上にある屋外プールなので、灼熱の太陽が直に照りつける中、毎回午前中一時間半ほど5分間の…

外なる源泉への回帰 ― ヨーロッパ文化の起源

一昨日・昨日の記事で紹介した Rémi Brague の Au moyen du Moyen Âge から、夏休み特別企画(?)として、もう一箇所紹介しよう。同書の " Les leçons du Moyen Âge "(「中世の教訓」)と題された章の結論部(p.78-79)で、ブラッグは、中世ヨーロッパ文化…

inclusion と digestion ― 異文化受容の2つのスタイル(承前)

とはいえ、〈消化〉と〈封入〉は、互いに排他的で相容れない作用ではない。一つの文明が、その生成・発展過程において、外来物に対して、あるものは〈消化〉し、他のあるものは〈封入〉するという、いわば1種の選択的透過性を示すということはありうるし、…

inclusion と digestion ― 異文化受容の2つのスタイル

6月25日の記事で紹介した Rémi Brague の Au moyen du Moyen Âge(Flammarion, collection "Champs essais", 2003、未邦訳)には、ヨーロッパ文明に関して私たちの興味を唆る論点や挑発的な言辞がいたるところに鏤められていて、たとえそれらに対してにわ…

私撰万葉秀歌(1)

学部で3年間、万葉集を当時の万葉学の権威の1人であった教授について学ぶという幸運に恵まれた。その1年目に、教授自身が選んだ万葉秀歌百首を完全に暗記して、すべて書き下し文で書けという試験を課された。受験者中ただ1人百首完璧に空で書き、教授か…

永遠への路銀 ― ジャンケレヴィッチ、不在の苦悩 ― カミーユ・クローデル

パリの街中を散歩していると、過去の著名な作家、詩人、芸術家、科学者、政治家等の旧居であることを示す石板が、その旧居がある建物の入口脇あるいは上方に嵌めこまれてあるのをよく見かける。ただ生没年と居住期間、職業あるいは活躍した分野などが示して…

陽の光、最初の影、イマージュ ― 鏡と思惟についての哲学的考察

昨夏と今夏の集中講義の準備のために読んできた文献の裡、まだこのブログで言及していない本がもう1冊ある。Agnès Minazzoli, La Première ombre. Réflexion sur le miroir et la pensée, Éditions de Minuit, 1990(未邦訳)。"La Première ombre"(「最初…

言語と死 ― 死の学びとしての哲学

昨日5日間の集中講義を終え、今年度から始まったネット上での成績登録も先ほど無事済ませ、ホッと一息ついている。これで2年かけた「鏡の中のフィロソフィア」というテーマの講義は一応終了。昨年同様、学生たちには毎日小レポートを書かせたが、昨日は5日間…