内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

歴史学に目覚めた(?)学生たち

昨日の「近代日本の歴史と社会」の講義は、実に盛り沢山かつ栄養たっぷりな内容だった、と思う。ちょっと詰め込みすぎたかなと途中で思わなくもなかったが、前回の授業でもそうだったように、今回も学生たちの集中度がすごかった。こっちがそれに気おされる…

「反近代」あるいは近代の「陰画」としての徂徠思想の「現代性」

一昨日水曜日のオフィス・アワーには、来年度日本の大学への留学を希望する学生たちが押し寄せてきて質問攻めにあい、その対応に大わらわであった。修士の演習の開始時間まで残り15分となったところで、やれやれ一段落したと思ったら、先日「研究入門」の課…

日本学科の教師が他学科の学生の哲学論文の指導をして何か問題でも?―K先生の『老残風狂日録』(私家版)より

先日来何度か話題にしていることだが、今年度に入って、学生たちからの相談や質問が俄に「哲学づいて」いる。私個人としては、慶賀に堪えない。 一昨日火曜日、先日小論文の相談に来た人文学科の学生がオフィス・アワーにまた相談に来た。私が示した参考文献…

研究・教育のデヴァイスとしてのブログ

今日は、連載「憧憬は郷愁ではない」を休む。まだまだ先は長いので、休み休み細々と続ける。そういえば、昨年9月15日から始めた連載「カイロスとクロノス」も二十回で中断したままだなと思い出す。まあ、できるところから手をつけていきましょう。 自分にと…

「憧憬」(Sehnsucht)は「郷愁」(nostalgie)ではない ― 哲学的考察の試み(三)未知・未来志向性と既知・過去志向性

昨日の記事で見たような意味が Sehnsucht にあることから、それが nostalgie と近い概念と見なされるようになったことは理解できる。実際、このドイツ語をフランス語に訳すとき、nostalgie という語がしばしば用いられている。この感情を懐く主体の苦しみと…

「憧憬」(Sehnsucht)は「郷愁」(nostalgie)ではない ― 哲学的考察の試み(二)渇望の浄化作用

ドイツ語の Sehnsucht は、1750年以降の詩作品の中で多用されるようになり、一見すると、哲学とは無縁なように思われる。フランス語に訳す場合、nostalgie, aspiration, désir ardent など、文脈に応じてといろいろな語が用いられている。しかし、ドイツ観念…

「憧憬」(Sehnsucht)は「郷愁」(nostalgie)ではない ― 哲学的考察の試み(一)そのきっかけ

一昨日金曜日のシンポジウムの最初の発表が九鬼周造の「いき」についてだったことや、修士の演習で、『陰翳礼讃』と『「いき」の構造』とボードレールおよびジャンケレヴィッチの美に関する言説とを比較することを発表テーマに選んだ学生がいることなどがき…

「ヨーロッパ哲学語彙辞典、あるいは翻訳不可能語辞典」

2004年に初版が出版された Vocabulaire européen des philosophies, sous la direction de Barbara Cassin, Seuil/Le Robert は、出版当初からその大胆な企画で注目を集めた。十数のヨーロッパ言語(ヘブライ語、ギリシア語、アラブ語、ラテン語、ドイツ語、…

ミッション遂行、不思議な縁、楽しく懐かしい再会、動き始めた研究企画 ― ストラスブールへ帰るTGVの車中から

9時からのシンポジウムを午後5時半頃に無事に終え、その後、発表者・参加者のうち残った十数人の人たちとパリ市内までRERで移動し、オペラ座界隈のカフェで夕食まで残る9人の人たちと一服してから、日本料理レストランで会食となった。20時25分の最終列車…

パリのホテルから

今日の午後、明日のパリ・ナンテール大学でのシンポジウムに備え、TGVでストラスブールからパリまで移動した。シンポジウム主催者が予約してくれた、メトロ一番線の Reuilly-Diderot 駅から徒歩二分ほどのところにあるホテルにチェックインした。 ホテルがあ…

西谷啓治『宗教とは何か』における「囘互」の出典についての一注記 ― 道元『正法眼蔵』第十二「坐禅箴」より

金曜日のシンポジウムでは、西谷啓治の『宗教とは何か』における空の思想について話す(こちらがプログラム)。 私の発表は、四部構成になっている。まず、仏教思想史の中に系譜学的にその思想を位置づけ、次に、西谷が「空」について、『宗教とは何か』の中…

きめ細かな個別指導に定評があるK先生の日本語鍛錬道場としての演習 ― 月刊『K先生の耄碌妄言集』(廃刊)より

二年前から、修士二年生の演習で、学生たちがフランス語で書かなければならない修士論文の要旨あるいはその論文の一部を日本語で書くという課題を課している。長さは4000字以上。一学期をかけて仕上げさせる。その間、彼らの文章を徹底的に添削していく。 こ…

テツガクシャは黒服がお好き? ― 稀代の晩学K先生の随筆集『テツガクより愛を込めて』(絶版)より

先週金曜日のことでした。授業を終えて、教室を出ようとしていたら、いつも最前列に座って熱心にノートを取りながら授業を聴いてくれている女子学生が、「先生、哲学の先生はなんでいつも黒い服を着ているのですか」と日本語で聞いてきました。ちょっと質問…

思考の自己生成・再生装置として私の身体 ― K先生の幻の名著『テツガクより愛を込めて』(絶版)より

昨日今日のこの週末、文字通り家に籠りきり、食事も夕食以外はほとんど取らず、朝から晩まで机の前にほぼ座りっぱなしで、今週金曜日のパリ・ナンテール大学での発表原稿を一気に仕上げた。 今、ワインと共に夕食を取りながら、この記事を書いている。例によ…

日本の哲学が勉強したいのなら、ストラスブール大学に来るがよい! ―『K先生の黄昏恍惚夢想録』(発禁)より

今年度に入ってから、つまり9月からのことですが、日本学科の学生たちの中から、私個人としてちょっと意外かつ嬉しくなる反応がポツポツと出て来るようになりました。日本の文学・歴史・思想・社会・言語・芸術・芸能等への関心と哲学的な問いとをそれぞれの…

アニメーションとは、登場人物たちに命を吹き込み、それらの人物と一緒に生きること

今日の午後、『この世界の片隅に』の片渕須直監督の講演が大学の階段教室で行われ、夜には、ストラスブール市中心部の映画館で同映画の一回限りの上映、それに引き続いての監督と会場との質疑応答があり、それらすべてに参加した。 それらは、監督の映画作り…

「環境」に「適応」しなければ「生き残れない」という進化論的強迫観念を世界に拡散させた政治思想

「進化」という言葉が、生物進化論の枠を超え、社会ダーウィニズムとも進化論的歴史観とも直接の関係なしに、個人における特定の能力の目覚ましい向上や進歩をも意味するようになり、メデイアでもかなり安易に使われるようになったのは、いつのころからだろ…

『陰翳礼讃』の多様な読み方を日本語で発表する特訓開始

来年2月の日仏合同ゼミの共通課題テキストとして谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を選んだことは、今年の7月12日の記事で話題にした。9月から学生たちとテキストを読み始め、10月前半には読み終え、引き続き、各学生の日本語での個人発表原稿の準備とパワポを使…

ヨーロッパ人文学的精神から中世日本の宗教思想への清々しく謙虚な問いかけ

今日のオフィス・アワーに、数日前に面会の申し込みがあった別学部の学生が小論文の相談に来た。彼の所属学科は、Licence Humanités、つまり人文学科である。学科の紹介文は次のようになっている。 La licence Humanités offre une formation pluridisciplin…

日本の近代化の特異性を際立たせる古代ギリシア文化との関係

Michael Lucken, Le Japon grec. Culture et possession, Gallimard, 2019 は、古代ギリシアと近代日本との文化全般に渡る独特な関係を精査することで、日本の近代化の特異な性格に新しい光を当てるという斬新な企図を見事に成功させた著作である。 その序論…

近代西洋古典教育の産物としての「古代ギリシア哲学」から古代ギリシア哲学の実像へ立ち返る遠い道のり、あるいは「カエサルのものはカエサルに」

Pierre Vesperini, La philosophie antique. Essai d'histoire, Fayard, 2019 は、ヨーロッパ近代における西洋古典教育によって西洋の「文化遺産」として収奪され、西欧思想の起源という地位に祭り上げられた「古代ギリシア哲学」を、歴史的現実としての古代…

ストラスブール大学で日本の哲学の研究ができる環境を整える ―『K先生の黄昏恍惚夢想録』(未刊)より

昨日金曜日の午後は、前期に各教員が回り持ちで一回だけ担当する Méthodologies disciplinaires というマスター一年生向けのゼミの私の担当回でした。このゼミでは、各教員が自分の専門分野での方法論を自由に語ることができます。一回三時間、時間はたっぷ…

一般教養を豊かにし、問題を広く深く考えるための推薦図書を毎回紹介する

今日の記事は、ちょっと小学生日記みたいな綴り方です。 中学生日記だと、その年頃にありがちな精神的葛藤が表現を屈折させそうですが、小学生日記ですから、もうちょっと素直、というか、無邪気というか… と言った途端に、「おまえは、現代日本の小学生の鬱…

戦時下の日常を生き抜く―『この世界の片隅に』についての秀逸感想集

一昨日火曜日、「日本文明・文化」の中間試験を行った。この授業は、すべて日本語で行う。試験も同様。試験の主題は「戦時下の庶民の日常」とした。この問題について考える材料として、ヴァカンス直前の授業で片渕須直監督『この世界の片隅に』の前半を観な…

中間試験採点を終えての感想 ― 歴史の勉強が楽しくなるような試験問題

ヴァカンス前に行った「近代日本の歴史と社会」の試験の採点を今日終えた。なかなか読みごたえのある答案が多くて、感心した。授業の内容をできるだけ活用した答案がある一方、授業外で自主的に調べたことを盛り込んで議論を発展させている答案もあった。 第…

例え話による、海外における日本研究についての「反日的」暴言 ―『K先生の黄昏放言録』(未刊)より

以下は、良識あるニッポンの人々の神経を逆撫でするような「反日的」暴言です。そんなもの読みたくない方は、ここでこのページをお離れになられますようにお願い申し上げます。 しかし、けっして酒の勢いを借りての意気地なしの犬の遠吠え的罵詈雑言ではあり…

心という書物に文字を刻みつけるという暗喩

十二世紀になると、意識、心、内的経験などが「書物」という隠喩によって、liber conscientiae, liber cordis, liber experientiae などと表現されるようになる。精神の内的活動は、書記・写字生の仕事をモデルとして、手書きの文書の作成作業に倣って、書か…

読誦(lecture)・瞑想(méditation)・祈り(prière)・観想(contemplation)―「アンセルムス革命」後に洗練化されていく霊操の四つ階梯

「アンセルムス革命」以後の十二世紀の霊操史の展開を Cédric Giraud の Introduction によって見ておこう。 十一世紀の「アンセルムス革命」からさまざまな霊操がその形を洗練させていく。十二世紀に入って、修道院において新たに練り直されたそれら霊操が…

心を神の探求へと向かわせる内観的療法としての〈祈り〉と〈瞑想〉

Écrits spirituels du Moyen Âge の 編訳者 Cédric Giraud による Introduction の続きを少し読んでみよう(この Introduction の縮約版と収録作品の抜粋集をこのリンク先で読むこともできるし、そのPDF版を無料でダウンロードすることもできる)。 À la fin…

中世ヨーロッパの霊性文学の精華集

Écrits spirituels du Moyen Âge (Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », 2019) の編訳者 Cédric Giraud による Introduction の最初の段落を読んでみよう。 Dans l’imaginaire collectif contemporain, la culture occidentale semble difficil…