2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧
1. 2 出来事としての生命(2) 形とは、情報によって形成された秩序であるとすれば、この情報は、混沌からある一定の秩序を形成するための選択の規則として差異化作用を実行する一連の命令であると定義できるだろう。形を維持するためには、秩序を混沌へと引…
1. 2 出来事としての生命(1) 最後期西田の生命論について特筆すべきことは、機械論と生気論と間の対立を乗り越えて、「第三の道」を見出したことである。機械論は、生命活動を、すべての物理化学的現象と同様に、物質的メカニズムへと還元する。生気論は、…
1. 1 全体論的有機体論からの影響(2) 西田は、ホールデーンのもう一つのテーゼである 「生命とは、空間的な境界を有たない特異な全体として己を表現している自然である」(« Life is nature expressing herself as a characteristic whole which has no sp…
1-西田哲学の生命論 1. 1全体論的有機体論からの影響(1) 西田の生命論がその固有の展開を見せるのは、一九三〇年代半ば以降である。その展開にとって最も重要な契機となったのが、J・S・ホールデーンの『生物学の哲学的基礎』(J. S. Haldane, The philos…
昨日までで、第四章の連載をようやくひとまず終えることができた。同章の連載に四十二回もかかってしまった理由は、一つには、基になっている仏語の博士論文から訳しながらの投稿であったからだが、もう一つには、やはり十年も前に書いた原稿だけに、そのま…
2. 5 〈肉〉のロゴスと語る身体(4) 昨日の記事の終わりに引用した一節を再度掲げる。 見えるものを、人間を通じて実現される何ものかとして記述しなくてはならない。しかし、その何ものかは少しも人間学的なものではない[…]。〈自然〉は、人間の裏側とし…
2. 5 〈肉〉のロゴスと語る身体(3) 昨日の記事の最後に引用した一節をもう一度掲げる。 問いかけとしての哲学は、[…]無ではない存在の零から世界がいかに分節化されるのかを示すこと、つまり、対自の中でも即自の中でもなく、存在の辺りに、世界への無数…
2. 5 〈肉〉のロゴスと語る身体(2) 知覚世界は、どのようにして表現的となるのか。この問いに対する答えを西田のテキストの中に求めてみよう。知覚世界が表現的となるのは、「物の世界の中に弁証法的に含まれ」(全集第八巻二六二頁)、「物そのものとなつ…
2. 5 〈肉〉のロゴスと語る身体(1) 私たちは、今や、〈肉〉の存在論における自己身体の存在性格の核心に到達している。それは、単に、〈肉〉の存在論の要を成す結び目を見極めうる地点に立っているということではなく、それと同時に、「問いかけとしての哲…
2. 4. 3 〈肉〉に奥行を与えるものとしての自己身体(2) 私の身体は、己に固有の知覚の領野に対して開かれている。しかしながら、それは、ただ単に、この領野が「時間空間的に個体化された〈これ〉」(« un ceci individué spatio-temporellement », VI, p.…
2. 4. 3 〈肉〉に奥行を与えるものとしての自己身体(1) 〈肉〉は、「感じられ、感じるものという二重の意味において感覚的なもの」(VI, p. 313)である。〈肉〉は、知覚された世界であるという意味では、受動的であり、しかし、それ同時に、己の内に生ま…
2. 4. 2 身体の「裏側」としての精神(2) この裏側は、客観的思考においてのように、同じ実測図の別の投影という意味で理解されてはならず、奥行への、延長の次元性ではない一つの次元性への身体の「超過」という意味において、そして、否定的なものの感覚…
2. 4. 2 身体の「裏側」としての精神(1) 精神は、〈見えるもの-見るもの〉である自己身体によって所有された奥行に住まう。見るものは、見えないもの一般だけでなく、己に属する見えないものである「精神」をも世界に与える。このような意味において、メ…
2. 4 〈肉〉における自己身体固有の存在性格 私たちは、この節で、『見えるものと見えないもの』の中の「〈肉〉―〈精神〉」と題された一九六〇年六月の研究ノート(VI, p. 312-314)にコメントを加えることによって、〈肉〉に対する自己身体固有の存在性格を…
2. 3. 4 存在がそこにおいて己を隠蔽しつつ己を顕にする奥行 『見えるものと見えないもの』の中の「奥行」と題された1959年11月のノート(VI, p. 272-273)に立ち戻ろう。そのノートの中には、まだもう一つ検討すべき命題が残されている。 それ[=奥行]が…
2. 3. 3 諸観念がそこにおいて現実化される奥行(3) メルロ=ポンティは、本質 ― 言葉の「向こう側」を、それ自体で考え得る一種の実体のようなものとは見なしていない。では、どこでそれを把握するのか。 この問いについてもまた、立方体を例に取って考え…
2. 3. 3 諸観念がそこにおいて現実化される奥行(2) 観念を知覚世界における奥行として捉えようとするメルロ=ポンティの考え方を、一つの具体例を挙げて検討してみよう。 一個の立方体について、次のように想定してみよう。私は、この机の上にある一個の物…
2. 3. 3 諸観念がそこにおいて現実化される奥行(1) メルロ=ポンティは、「〈肉〉と観念との繋がり」という表現を用いつつ観念の生成を問題とするとき、観念を〈肉〉の奥行と見なしている。そこで問題にされるのは、「他のすべての経験がそれとの関係で位置…
2. 3. 2 物らがそれとしてそこにある奥行(2) 奥行こそが、諸事物が「私の視察に対して様々な障害を設け、己の現実・「開け」・「同時的現前」にほかならない抵抗を生み出す」(VI, p. 272-273)ことをもたらしている。諸事物の現実、あるいはそれらの「開…
2. 3. 2 物らがそれとしてそこにある奥行(1) 存在論的概念としての奥行の分析を、『見えるものと見えないもの』の中の「奥行」と題された1959年11月のノート(VI, p. 272-273)の注解から始めよう。 私がそこから見る観点がある ― 世界が私を取り巻いてい…
2. 3. 1 予備的考察(4) 私が一個の立方体を見ているとき、それを構成している諸面は、直後に正面から見られるであろう正方形としてすでに私の眼差しによって捉えられていたり、すでに見られた正面としてなおも捉えられていたりする。それゆえに、私がその…
2. 3. 1 予備的考察(3) 「引き受けられた状況」の例として、〈両眼の収斂運動-見かけ上の大きさ-奥行〉という三つの項の関係を見てみよう。前二者は奥行の原因ではない。もしそうであったならば、それらニ者だけで、他の要因一切なしに、奥行を生じさせ…
2. 3. 1 予備的考察(2) 私たちが日常的に経験する奥行知覚の例をいくつか挙げてみよう。 ここに私の机がある。その向こうには窓。その窓越しに、一軒の家が、そしてそのさらに向こうに別の一軒の家が見える。私が地平線に向かってのびている道の上に立つと…
2. 3 存在論的次元としての〈奥行〉の分析 『見えるものと見えないもの』において、奥行概念は、他の存在論的概念との関連においてしばしば言及される。この関連の仕方に従いつつ、奥行を、その取り扱い方の一般性の程度に応じて、次の三つの段階に分けて分…
2. 2. 5 〈相互帰属性 inter-appartenance〉(2) 私が見ている世界は、見るものである私にとって確かに存在することを認めるとしても、見えるもの・見るものである私の身体は、それでもやはり、世界をそれとして構成している厚みと重みに属していることに変…
2. 2. 5 〈相互帰属性 inter-appartenance〉(1) 〈肉〉の相互帰属性は、まずもって、見えるものと見るもの、触れられるものと触れるものとの間の関係である。見えるものと見るものとの関係は、相互に外在的な部分同士の関係ではない。見るものが見えるもの…
2. 2. 4 〈自己回帰性 retour sur soi〉 自己回帰性 ― あるいは「巻きつき enroulement」― は、とりわけ見えるものと触れうるものとについて言われる。ここで問題になるのは、「私を貫き、私を見るものとする見えるもののそれ自身に対する関係」(« un rappo…
2. 2. 3 〈可逆性 réversibilité〉(2) 別の例を挙げよう。一つの立方体は、今ここにある一個の立方体でありながら、立方体一般として扱うことができる。同じ一つのものが同時に個物でありかつ一つの次元あるいは一つの一般性として在る。ある個物が知覚の…
2. 2. 3 〈可逆性 réversibilité〉(1) 〈可逆性〉とは、まず、見るものと見えるもの、触れるものと触れられるもの、一般的に言って、感じるものと感じられるものとの間に見出されるものである。それは、生ける身体において自証される。身体は、見るもので…
2. 2. 2 〈事実性 facticité〉 〈肉〉は、「事実からなるのでもなく、事実の総体でもなく、〈場所〉と〈今〉とに固く結ばれている」(VI, p. 184)。それだけではない。「〈どこ〉と〈いつ〉を創始するものであり、事実を可能にし、それを要求するものである…