内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

哲学

Unheimlichkeit の宙吊り状態こそ、我が身の一定住処ぞかし

『存在と時間』の日本語訳は、日本で今簡単に入手できるものにかぎっても四、五種類あるようだが、残念ながらそのいずれも手元にないので、Unheimlichkeit がどう訳されているのかわからない。いずれにせよ、一語でそのニュアンスを伝えることは不可能だろう…

ノヴァーリスの哲学の定義による変奏曲 ― ハイデガーの「家なきこと(Unheimlichkeit)」を介して

12日の発表言語はフランス語だから、引用する仏文や独文を日本語にどう訳したらいいかという問題は発生しない。 ところが、今朝から、結論で引用するノヴァーリスの有名な断章 „Die Philosophie ist eigentlich Heimweh – Trieb überall zu Hause zu sein“ …

「居場所」の哲学あるいは「家の外に居ること―「まるごと」そこに在ること―世界が「居場所」であること」、ノヴァーリスからハイデガーへ

私の哲学の道 ノヴァーリスはその断章集のなかで哲学の定義を繰り返している。 その一つが « Die Philosophie ist eigentlich Heimweh – Trieb überall zu Hause zu sein. » (Das Allgemeine Brouillon, III 566) である。「哲学とは本来的に郷愁であり、ど…

「アウェイ」こそ哲学の本来の場所 ―「ホーム」はお遊びに過ぎない

カーン城内から見たサン・ピエール教会の尖塔 ちょっとですが、昨日嬉しいことがありました。あまりそういうことがない、まことに寂しい人生なので、何があったか少しだけ書かせていただきます。 先週のカーン・ノルマンディ大学でのシンポジウム「詩的に世…

シンポジウム「詩的に世界に住まう」二日目 ― 豊かな知的「栄養」をいただく

朝日を浴びるシンポジウムの会場(カーン・ノルマンディ大学B棟) 二日目はバシュラールに特化した三つの発表。 発表者は、バシュラール研究の第一者である Jean-Jacques Wunenburger リヨン第三大学名誉教授(現在の住居ニースからのオンライン参加。バシュ…

世界への「応答」と「共鳴」の場所としての「庵」をこの世での仮の住処としたい

« Habiter poétiquement le monde »(「詩的に世界に住まう」)。 来週参加するシンポジウムのタイトルである。響きよく美しいタイトルである。ハイデガー、ヘルダーリン、ノヴァーリス、バシュラールなどを念頭に置きつつ主催者たちが選んだ。 この昨年から…

「応答性 responsivité」の理論的汎用性

2日の記事でハルトムート・ローザの『レゾナンツ』の仏訳のなかで使われている responsive という言葉を話題にしたが、同書にはかなり頻用されている。著者がこの responsivité という概念を用いるにあたって直接明示的に依拠しているのは、ベルンハルト・ヴ…

「主語が大きい」世界は住みにくい

「主語が大きい」という表現をときに見聞きするようになったのはいつの頃からだろう。 割と最近広まった表現だと漠然と思っていたが、『三省堂国語辞典』(第八版、2022年)には、「主語」の項内に句として下位項になっていて、「すべてがそうだとは限らない…

〈希望〉(espérance)は不可能の海の航海である ―〈希望〉の哲学

今は亡きサトザクラ Corine Pelluchon, L’espérance, ou la traversée de l’impossible を読みながらの感想を一言記す。 〈希望〉(espérance)は不可能の海の航海である。その航海に目的地はない。困難な航海の果に到達しうる目標として〈希望〉があるので…

哲学者の唯一の〈希望〉は「非望」である

雲を眺めて 「望外」あるいは「望み得ぬもの」(l’inespéré)は望んで得られるものではないだけではなく、望むことがその到来の障壁になってしまう。光が私たちのもとに届くためには、それを遮るものを取り除けなくてはならない。 この「望外」(あるいは「…

〈希望〉の哲学史

緑中鮮烈なるヒイラギメギの黄色い花 昨日の記事で話題にした実現可能な個々の希望(espoir)と恒常的な在り方としての希望(espérance)との区別はペリュションのオリジナルな考え方ではない。それどころか、西洋哲学史においてソクラテス以前の古代ギリシ…

「詩的に世界に住まう ― 哲学と文学が交叉する場所」

白鳥たちに囲まれて、ひときわ目立っていたクロガモの子ども 今日の記事のタイトルは、 « Habiter poétiquement le monde. Croisements philosophiques et littéraires » という、この秋にカーン・ノルマンディー大学で開催される研究集会のタイトルの日本語…

〈静心無〉― この世に生きる人の実存的様態

昨日の記事で述べたように、『和泉式部集』の一例を除いて、中古の文学作品において「静心」は「なし」と結合してほぼ一語化している。『ジャパンナレッジ』で小学館の日本古典文学全集全文に検索をかけても同様な結果が得られる。昨日挙げた作品以外では『…

Inquiétude は、「不安」ではなく、「現に在るところのものに満足せず、常にその先を求める自発的な性向」である

Le Grand Robert (2024)の « inquiétude » の項には、三番目の語義として、Lalande の Vocabulaire technique et critique de la philosophie (17ème édition, PUF, 1991 ; 1re édition « Quadrige », 2002) の « inquiétude » の項から以下の定義が引用さ…

真理探究の始源としての「安らぎなき心」

パスカルの『パンセ』に出てくる inquiétude は「不安」と訳される。例えば、断章19(セリエ版、ラフュマ版400、ブランシュヴィック版427)を見てみよう。 L’homme ne sait à quel rang se mettre. Il est visiblement égaré et tombé de son vrai lieu sans…

「みずから」と「おのずから」の接点を求めて ―『方丈記』の「一間の庵、みづからこれを愛す」を起点として(下)

古典的名著のなかの瑕瑾を血眼になって探し出して悦に入るような詮無き気晴らしがここでの目的ではない。 偶然性の問題を考察するにあたって「おのづから」という副詞が一つの重要な概念になりうることは確かである。だが、13日の記事でも言及したように、こ…

「みずから」と「おのずから」の接点を求めて ―『方丈記』の「一間の庵、みづからこれを愛す」を起点として(上)

日本の古典文学作品からある語の用例を挙げて、その語釈を根拠に議論を展開する。これは授業や論文で私もよく使う手段である。これによって議論に一定の説得性をもたせることができる。が、当該の古典作品の専門家による注解をちゃんと読み込んでから実行し…

fragile と vulnérableの用例採集( 3)― vulnérabilité は「他者を思いやり、他者のために苦しむことを可能にする力」

コリーヌ・ペリュションがここ15年ほどにわたって展開・深化させてきた「傷つきやすさの倫理」(éthique de la vulnérabilité、以下「V の倫理」と略す)をその明示的な出発点から辿り直すためには、2009年に PUF から刊行された L’autonomie brisée. Bioéth…

人間の壊れやすさ(fragilité)と傷つきやすさ(vulnérabilité)― その現象学的人間学的考察(4)人間はワイングラスよりも壊れやすい。ゆえに、今を措いて時はなし

ジャン=ルイ・クレティアンを読んでいて楽しいのは、西洋思想史全体を覆うその無双の博覧強記が可能している縦横無尽な引用である。クレティアン自身の主張には納得できない箇所でさえ、そのなかの引用にはクレティアンの意図を超えた内容が含まれていて、…

人間の壊れやすさ(fragilité)と傷つきやすさ(vulnérabilité)― その現象学的人間学的考察(3)Fragilité はホラー映画の襲撃者のように私たちにつきまとう?

今日は軽く流す。 Jean-Louis Chrétien et la philosophie には « Sens et forme de la fragilité. Entretien avec Jean-Louis Chrétien » と題された談話(2018年に Esprit 誌に掲載)が収録されている。そのなかでクレティアンは、Michaël Fœssel と Camil…

人間の壊れやすさ(fragilité)と傷つきやすさ(vulnérabilité)― その現象学的人間学的考察(2)F の哲学と V の倫理を相補的に読む試み

諸般の事情で毎日連載というわけにはいかないが、これから「壊れやすさ fragilité」と「傷つきやすさ vulnérabilité」についてかなり長期にわたって断続的に考えていくにあたって、いくつか約束事を決め、若干の予備的考察を示しておきたい。まず、同じ言葉…

人間の壊れやすさ(fragilité)と傷つきやすさ(vulnérabilité)― その現象学的人間学的考察(1)

日本語であれフランス語であれ、一般に意味領域が近接あるいは重なり合う類義語、または相互に交換可能な同義語として使われる語の間の区別と関係に注意深くあることは、それまではよく見えていなかった生活世界の分節構造を明確化することを可能にしてくれ…

すべての言葉は「応え」である ― ジャン=ルイ・クレティアンの哲学

ジャン=ルイ・クレティアンは自らの哲学的企図全体の導きの糸は une phénoménologie de la parole であるという。これを「言葉の現象学」と訳してしまうとクレティアンの意図が誤解されてしまうかも知れない。クレティアンが探究してきたのは、言語を対象と…

近代における「自律」という「監獄」の誕生

メーヌ・ド・ビランが1815年に年間を通じて付けていた日記は、Marc-Antoine Jullien (1775-1848) が考案・刊行・販売した « Agenda général ou Mémorial portatif pour l’année 18 . . » に記されている。この日記帳の形態についてはアンリ・グイエがビラン…

19世紀初頭の気象学の自然科学としての自立が到来させた「神なき」内面世界

特殊な装置を使用する場合や宇宙船・潜水艦あるいはそれに準ずる特殊な閉鎖空間を例外として、私たちは大気のなかでしか生きられず、常にある気候・天気・空模様の下で暮らしているのだから、それらからの直接的な心身への影響に恒常的に晒されている。これ…

メーヌ・ド・ビランの哲学をその〈外〉へと開き、その〈外〉から考察する手がかりとなる2つの論文

メーヌ・ド・ビランを哲学者として研究対象としたモノグラフィーはフランス語圏でもさほど多くはなく、1948年に出版されたアンリ・グイエのビラン研究から数え始めても主要な著作に限れば十指で足りるのではないかと思う。 パスカル生誕400年であった昨年202…

「自己」の外なる「内なる無辺の大地」に自ずと実る智慧を待ち望み続けた哲学者

Jean-Louis Chrétien (1952 - 2019) は私にとってもっとも大切な哲学者の一人であり、ちょうど二十年前に読んだ Promesses furtives (Les éditions de Minuit, 2004)、そのなかでも特に第6章 Trouver et chercher はいまだに汲み尽くせぬ思索の源泉の一つで…

メーヌ・ド・ビランの公生涯と内省との間の振り幅、精神の世界の広がりと深さ

メーヌ・ド・ビラン(1766‐1824)はナポレオン一世(1769‐1821)と同時代人である。フランス革命時には、王党派軍人としてヴェルサイユ宮殿の防衛に当たり、九死に一生を得る。その後三年間パリで過ごし、先祖代々の領地があるベルジュラックに戻り、そこか…

哲学者の末期の沈黙 ― メーヌ・ド・ビラン『日記』最後の記事と死の前日の自筆証書遺言との間(6)後世に託された無尽蔵の遺産

メーヌ・ド・ビランは1824年7月20日午後4時に逝去した。その前夜9時頃にビランは遺書を口述筆記させている。それ以前にも何通か書いた遺書があったが、それらを破棄し、本状が自分の最後の意思であることが遺書の最後に明記されている。この最後の遺書が以前…

哲学者の末期の沈黙 ― メーヌ・ド・ビラン『日記』最後の記事と死の前日の自筆証書遺言との間(5)絶望のうちにあって待ち望む

ビラン最後の日記の最終二段落を読む。 Mens sana in corpore sano. La réunion des deux bien nécessaire pour que l’homme soit entier, mais comment l’est-elle ? On peut avoir un corps frêle avec une âme forte et une âme forte et une âme lâche e…