日本語について
今年9月で在仏丸30年になる。 学生として過ごした最初の数年間は、一時帰国はできなかったものの、日本を離れてからまださほど日数が経っていなかったし、家庭内では妻と娘と常に日本語で話していたし、手紙(文字通り手書きの手紙)のやり取りは日本の友人…
ポン・デ・ザールの赤い傘のカップル 本日の記事のタイトルは、いたずらに長ったらしく、たいそう勿体ぶっていながら、意味不明であり、しかも、予めお断りしておけば、記事そのものの中身は実のところスカスカである。 「な~んだ、そんなこと、フン」と鼻…
自宅のベランダから見た秋の色 ちゃんと調べたうえではなく、自分の貧しい経験に基づいただけの個人的感想の域をでないが、日本語は、その長い歴史にもかかわらず、そして、明治以降の欧米文化の積極的導入にも関わらず、句読法が未発達なまま現在に至ってい…
カーン城下の古家が密集する一角 動詞のなかには、文法的には肯定形だが、他の動詞について複合動詞を形成し、否定的な意味を添える動詞がある。昨日の記事で取り上げた「あぐねる」もその一つである。 同じようなタイプの動詞としてもっと頻用されるのが「…
どんな言語についても言えることだと思うが、他言語に訳してしまうと原語のニュアンスがよく伝わらない言葉がある。 その伝わらなさは、その原語の歴史的由来とか複雑な語感とかに因る場合もあるけれども、その語が指している対象がそれぞれの社会でどのよう…
オオトウカセンの蜜を吸う 「痛み」について省察していて、日本語の擬態語の迷宮から出られなくなってしまった。 いや、格好つけるのはやめよう。仕事帰りにほんの一杯のつもりが、つい盃を重ね、二軒、三軒とハシゴしているうちにへべれけ状態に陥り、帰り…
ゴッホの絵で有名なオーヴェル・シュル・オワーズの教会 死んではいません、生きています。本日の記事は単なる生存反応です。 「わくわく」は、それ自体は副詞だが、現代語では多く「する」と一体化してサ変自動詞のように使われる。『日本国語大辞典』によ…
Mont Sainte-Odile から東方を遠望する 神経を使う仕事で頭が疲れてしまったとき、小休止として辞書を読むことがよくあります。何か調べるためではなく、ただ適当に開いた頁で目に止まった項目を読みます。たとえほんの数分読むだけでも頭の切り替えにとても…
フィッシュゼラニウム(ラーケン王宮温室) 辞典に載っている言葉や成句をきっかけとして妄想をたくましくし、ありもしない成句を捻り出すという言葉遊びに興じる哀れな老人の呟きである。 「墓穴」という漢語は、音読み「ボケツ」でも訓読み「はかあな」で…
Fontaine des Quatre-Parties-du-Monde 嫌いだから使わない言葉は誰にでもあるだろう。ただ自分が使わないだけではなく、人がそれを使っているのを聞いたり見たりするだけでも不愉快になってしまうほど嫌いな言葉もあるだろう。 私にもそういう言葉がいくつ…
祝春来 授業で日本の文学作品を引用するときに困ることの一つは、漢字あるいは漢語の訓みが特定できない場合があることである。これは古典に限らず、近代の作品でもしばしば出くわす問題で、黙読で読み飛ばす場合はともかく、どう訓んでも意味上・解釈上は問…
「日本思想史」の授業で「おのずから」と「みずから」というテーマを扱うにあたって、いろいろな現代文から両語の用例採集をしていてのさしあたりの感想に過ぎないのですが(言い換えれば、付け焼き刃の採集に過ぎず、多分に偏りがありそうなのですが)、「…
昨日の記事のなかに引用した興膳宏氏の一文中の「せいぜい」という言葉がちょっと気になったので手元の国語辞典や古語辞典で調べてみた。 引用文では「難解な『荘子』の思想をせいぜい平易に解きほぐして」となっており、文脈からして、「出来る限りの努力を…
昨日の記事で「そぼふる」という動詞を使った。何気なく使ったのだが、記事を投稿した後に自分の使い方が適切だったかどうか気になりだし、手元にある辞書を片端から調べていった。 小型国語辞典の語釈にはしばしば「(雨が)しとしと降る」とあるが、これは…
ネット上のある記事のなかに「九死に一生を得た」という成句が二度使われていて、それがどちらも誤用だった。筆者紹介によると、「出版社に勤務後、編集プロダクションを設立。書籍の編集プロデューサーとして活躍し、数々のベストセラーを生みだす。その後…
どんなに注意して何回読み直しても、自分の文章だと誤りを見落としてしまうことがある。それが一冊の本になるような長い文章であれば尚のことである。だから校正には他人の目が入ったほうがよい。人から指摘されてみれば、なんでこんな初歩的な誤字や脱字に…
今日、その他の注文本といっしょに小学館の『新選国語辞典』(第十版、二〇二二年)が日本から届いた。手元にある小型国語辞典はこれで五冊目になる。ただ言葉の意味や用法を調べるだけなら、大抵の言葉については紙の辞書を引くまでもなくネットで検索すれ…
昨日の記事で話題にした「おいらか」という言葉の理解をさらに深めるべく、手元にある古語辞典から参考になる記述を摘録する。 まず、『岩波古語辞典 補訂版』(一九九〇年)から。 オイは老いの意。ラカは状態を示す接尾語。年老いて感情が淡く、気持ちの波…
外国語で話す場合、内容や場面やその他の条件にもよりますが、間違いのない完璧な表現を目指すことは、「百害あって一利なし」とまでは言いませんが、いわば自分で自分の首を絞めるようなもので、生産的ではありません。 私が普段接している学生たちは、当然…
島薗進氏の『ともに悲嘆を生きる』を読んでいて、「悼む」とはどういうことなのか、気になるようになった。同書には、天童荒太の小説『悼む人』とそれに基づく映画作品について数頁にわたる紹介と著者による考察が示されている。そこを読めば、小説と映画の…
学生たちの口頭発表用の原稿を添削するとき、文法的には必要なく、内容理解にとっても誤解の余地のない箇所であっても、私は読点をかなり加える。なんのためかというと、彼らが原稿を読み上げるとき、比較的長い一文を一息に読まずに、一呼吸おく場所を示す…
「人のことをとやかく言う前に、まずてめえの心配しろ」と見識ある諸氏からどやされてしまうかも知れないが、授業で日本語の文章を一文一文構造に注意しながら読んでいてつくづく感じることがある。 高名なセンセイの場合でも、厳密に言うと辻褄が合っていな…
語感は同じ母語の話者たちの間であっても一様ではない。それでも、日本語を学んでいるフランス人学生たちと日々接していると、日本人同士ならほぼ誤解の余地はないと思われるところで、彼らが語感をうまくつかめていないと感じることはしばしばある。それは…
ある授業で取り上げる日本語のテキストのなかに「興味・関心」と併記してあり、それぞれの語に異なった意味が与えられているかどうかは文脈からは判断しかねた。もし授業で学生からこの両語の違いについて質問があったらどう答えようかと考えた。 一番無難か…
カタカナ言葉(多くの場合英語に由来し、和製英語も含まれる)の氾濫(今、一番上の変換候補が「反乱」だった)など、いまさら話題にもならないほどの日常茶飯事だ。ただ、新しいカタカナ言葉の登場がある社会現象の広まりに対応していることもしばしばあり…
今日も辞書の話。 『三省堂国語辞典』と『明鏡国語辞典』とには「させていただく」が立項してある。 前者には語釈として三つ挙げてある。①許しをもらってするときの、けんそんした言い方。②許しをもらってするかのように、自分の行為をけんそんする言い方。③…
『三省堂国語辞典』(第八版、二〇二〇年)の箱の帯には、「新語に強く、説明はやさしい」、「新しく生まれたリアルなことばを多数収録! ウェブだけでは得られない価値ある情報が満載!」とある。確かに、新語の収録数では、小型国語辞典のなかで群を抜いて…
自分自身では使わないけれど、よく耳にするようになった新しい表現あるいは用法がいくつかあって、それらを聴く度に違和感を憶える。一昨日の記事で話題にした「だいじょうぶ」の用法もその一例だ。 新しい用法に出会って、「なんか違うんだよなぁ」と感じる…
ネットなどでドラマ評として「神回」という表現を見かけるようになったのはここ十年くらいのことだろうかと思って、昨日挙げた四つの辞書を引いてみた。この用法について記載があるのは『三省堂国語辞典』のみだった。 第三の用法として以下の記載がある。 …
2019年2月8日の記事で、若者に特徴的な「大丈夫」の用法のことを話題にした。この用法について記載のある国語辞典はまだ少ないようだ。手元にある四つの国語辞典『角川必携国語辞典』『新明解国語辞典』『三省堂国語辞典』『明鏡国語辞典』のうち記載がある…