
『源実朝』のなかで、実朝歌とその本歌とを比較して両者の優劣を論じている箇所に挙げられている歌の一つ、「このねぬる朝けの風にかほるなり軒ばの梅の春のはつ花」に対して、式子内親王の本歌「うたたねの朝けの袖にかはるなりならす扇の秋のはつ風」のほうが優れていると吉本は言う。どこがどう優れているか何の説明もないが、本歌のほうが確かに余情において勝っているようには感じる。
「うたたね」は、竹西寛子が『式子内親王 永福門院』(講談社文芸文庫、一九九三年。原本、『日本詩人選』14、一九七二年)で指摘しているように、式子内親王が好んで用いた言葉のひとつである。いくつか例を挙げてみよう。
はかなしや枕さだめぬうたたねにほのかにかよふ夢の通ひ路
みじか夜の窓の呉竹うちなびきほのかに通ふうたたねの秋
窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢
袖の上に垣根の梅はおとづれて枕に消ゆるうたたねの夢
夢のうちも移ろふ花に風吹きてしづ心なき春のうたたね
「はかなし」「うたたね」「ほのか」「夢」、これらはすべて式子内親王がよく用いた言葉だが、最初の一首「はかなしや」を竹西は同書で度々引用し、次のような解釈を述べている。
「ほのかにかよふ」の情感が、淡く消えないで、水の波紋のようにひろがってゆくのをいいと思う。はかなさをはかなみながらも、それを肯う余裕もあって、自棄にも諦めにもまだ遠いほのかな甘さに憩うているものがある。
「ほのかにかよふ」の情感は、静止の相ではなく、内親王の好んで詠まれる動の相特有のものである。しかもそれが、夢現のはかなさにまとめられているための余情のみずみずしさは、この一首の褪せない若さだとも読み慣れてきたが、他にも内親王の詠まれた夢の歌は少なくなく、内親王を「夢の歌人」と称ぶ人もいるほどである。
「はかなしや」の一首は、『千載和歌集』に採られているのだが、興味深いことに、その本文と竹西が繰り返し引用している同歌とには、一語違いがある。
はかなしや枕さだめぬうたたねにほのかにまよふ夢の通ひ路
このように、『千載和歌集』では、「かよふ」ではなく、「まよふ」になっているのである。表記としては、「か」か「ま」かという一字の違いである。手元には、岩波文庫版(久保田淳・校注、一九八六年)しかないが、ネット上で閲覧可能な日文研データベースその他、確認できたかぎりでは、いずれも「まよふ」である。両者が底本の違いによる異同なのか、「かよふ」は誤記で、「まよふ」が正しいのか、つまり、「か」ではなく「ま」なのか、素人の私には決め手がないが、今日の記事の写真は、国文学研究資料館の国書データベースの式子内親王の当該歌が載っている『千載和歌集』の頁である。これはやはり「か」ではなく「ま」だと見えるが……。
奥野陽子の『式子内親王』(ミネルヴァ書房、二〇一八年)でも「まよふ」となっている。そして、同歌について奥野はこう述べている。
「はかなしや」歌のような、主情語による初句切れの歌は、『新古今集』になるとほとんど採られなくなる、という意味では、この歌はいわば古いスタイルである。しかし、この歌は、「はかなし」という、二句以下の事象を諦念をもって大観するような語彙で詠まれており、初句の切れは深く、深く切れた上で二句以下と的確な呼応を形成している。「夢の通路」自体、うつつならぬはかない出逢いの細道である。「思ひ寝」の夢なら枕を置く方向を思い定めて、夢を見るつもりばかりは出来るのだけれど、そのつもりで寝たわけでもない「枕さだめぬ」「うたたね」の夢、と、はかなさは重ねられる。「ほのかにまよふ」はその夢の中の通路が、霧でもかかっているようにはっきりしなくて、迷ってしまうという意味であろう。逢うことのはかなさをまとった詞が出来るかぎり重ねられる。テーマに向かって幾重にも詞を重ねるという方法を式子はよく使うのだが、それが『千載集』の入集歌からすでに見られることにも注意しておきたい。
確かに、「かよふ」よりも「まよふ」のほうが夢の通い路の不確かさがさらに深まる。竹西はいったいどの版に依拠したのだろうか。まさか思い込みではないだろう。
期せずして、一語を入れ替えるだけで、どれだけ印象が変わるか実験できた格好になり、これはこれで歌の鑑賞を深める契機ともなって面白い。