内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

心はどこにあるのか ― 「心は心の中にはない」、あるいは懲りないテツガク親父の世迷い言(アルコールちょっと入ってまーす)

今日は一日、明後日のパリでの仏語発表原稿の準備に充てました。と言っても、すでに講義、講演、研究会等で話したことがある内容を、今回与えられた時間に合わせて手直しするだけのことなので、それほど難儀な作業ではありませんでした。 それってさぁ、ぶっ…

仏語原稿の最終仕上げをしながら、心で繋がる書間を浮遊する一日

今年三月ストラスブールで日本語で発表し、六月にパリで仏語で発表した原稿の仏語最終稿の仕上げを今日一日で済ませた。すでに何度も読み直している原稿だったが、六月の発表のために付加・修正した箇所と新たに加えた引用箇所の仏訳に少し時間がかかった。 …

上野誠『万葉集から古代を読みとく』(ちくま新書)― 読者と『万葉集』を未来へと結ぶ試み

当代を代表する万葉学者のひとりである上野誠氏には、当然のことながら、『万葉集』を直接の対象とした著作が多数ある。一般読者を新しい視角から万葉の世界へと招待してくれる魅力溢れる本を何冊も書いてくれている。 私個人としては、上野氏が知悉している…

本居宣長『うひ山ぶみ』― 心が折れそうなときに「読む薬」

学に志しながら、自分にはそもそも学才がないとか、他の仕事で忙しくて時間がないとか、学問を始めるのが遅すぎたとか、自信喪失に陥ったり、不平不満を並べたり、詮無き言い訳で惨めな結果を弥縫をしたり、そんな性格的な弱さを露呈することがありうるであ…

電子書籍、その利点と改善すべき点についての私的感想

ここ三週間ほどで日本語の電子書籍を数十冊購入した。主に講義の資料として使うためである。個人的な愉しみとしての読書のためには、私はやはり紙の書籍の方を好む。 数社の出版社から購入したが、表示方法・レイアウト・フォント・操作性等にそれぞれ違いが…

非休息的万聖節休暇嗚呼

明日金曜日午前中の講義を終えると、11月5日日曜日まで万聖節の休暇に入る。今月29日日曜日には、夏時間から冬時間に切り替わる。 こちらの学年度では、9月初めの新学年開始からの二ヶ月間が毎年一番忙しいのだが、この万聖節の一週間の休暇が前期半ばの小休…

海洋国家としての開放性と島国としての閉鎖性という矛盾的自己同一性をかかえた日本の私

まわりが海に囲まれているということは、閉鎖性と開放性という二重の性格をその国に与える。 もちろん、この相矛盾する性格がどこでも同程度に見出されるわけではない。大洋のど真ん中の孤島であれば、閉鎖性が勝り、まわりを囲む海が比較的狭く、それが周辺…

古代日本における「渡来人」と「日本人」との対立・抗争・共存・共生・融和という問題

昨日紹介した橋本雅之『風土記 日本人の感覚を読む』を読んでいて、第二章「「風土記」の時間」第四節「祖先の歴史 ―「祖」「初祖」「遠祖」「始祖」「上祖」」の中の「播磨国に残された渡来人の足跡」と題された箇所が私にはとりわけ興味深かった。 『播磨…

方法としての「風土記」 ― 「地方」と「古層」という二重の「彼方」からの眼差しによる「中央」の相対化の方法(三)

橋本雅之著『風土記 日本人の感覚を読む』(角川選書、2016年)は、出色の好著だと思う。 本書は、遠い昔の日本の各地に息づいていた多様な神話世界を、ふんだんに引用された五カ国の風土記とその他の風土記逸文から見事に蘇らせているばかりでなく、日本文…

方法としての「風土記」 ― 「地方」と「古層」という二重の「彼方」からの眼差しによる「中央」の相対化の方法(二)

三浦佑之『風土記の世界』(岩波新書、2016年)は、風土記についての当たり障りのない「やさしい」概説書などではなく、著者の創見と大胆な仮説が随所に見られるとても刺激的な本だ。 本書は、単に日本古代社会とそこに生きた人たちの世界像をよりよく理解す…

方法としての「風土記」 ― 「地方」と「古層」という二重の「彼方」からの眼差しによる「中央」の相対化の方法(一)

古代文学史の講義の準備ために、上田正昭『新版 日本神話』(角川ソフィア文庫、2013年)、三浦佑之『風土記の世界』(岩波新書、2016年)、橋本雅之『風土記 日本人の感覚を読む』(角川選書、2016年)を読んでいて、いわゆる記紀神話の世界をその「外部」…

父方祖父没後五十年目の奇しき縁、そして祖父への短い手紙

やはり縁というものはあるのかもしれないと思わせる出来事が今日あった。 私の父方の祖父は、美術評論家で、壮年期に日仏芸術交流に尽力した人だった。ただ、金銭の扱いにはどこか浮世離れしたところがあったようだ。そのことをめぐるエピソードについては、…

師の説になづまざる事、そして、わが説にななずみそ ― 学問の正道しての「反逆」

本居宣長の『玉勝間』二の巻「桜の落葉」には、「師の説になづまざる事」「わがをしえ子にいましめおくやう」とそれぞれ題された二文が連続して収められている。そこには、宣長の学者としての誠心が決然と表現されている。 たとえ師の説であろうが、ただそれ…

言葉を失う困惑の只中の佇立こそが言葉の生誕地

今日の修士一二年合同演習では、七名の学生にレヴィ=ストロース『月の裏側』の最初の文章「世界における日本文化の位置」について各自の意見を口頭発表させた。 いわゆるできる学生とできない学生との間には、日本語での文章構成能力・議論の構成能力に相当…

異文化コミュニケーションの最前線としての「辺境」― 上田正昭『渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か』(角川選書)を読みながら(承前)

この半世紀の日本古代史における学問的成果は、古代日本の文化がいかに東アジアの世界と連動していたかをつぎつぎと実証してきた。そのことは学校教科書にも反映されている。古代史の講義を担当するようになって、私自身、素人ながら、古代日本史を古代東ア…

古代日本文化の第一線の担い手としての渡来人たち ― 上田正昭『渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か』(角川選書)を読みながら

昨年三月に亡くなられた日本古代史研究の第一人者上田正昭氏は、1965年に中公新書の一冊として出版された『帰化人』の中で、古代日本史において「帰化」・「帰化人」という概念を使用することへの疑義を呈し、それにかわって「渡来」・「渡来人」という語の…

元気の出る空海、あるいは万物と交流する総合的クリエイター

昨日の「仏セブン」の人気ランキング投票についてですが、普段ほとんどコメントが付くことがない拙ブログであるにもかかわらず、空海にのみ二票入りましたから、世間では空海の好感度が高いように推測されます(って、ちょっと強引すぎるかなあ)。 巷間の空…

日本仏教開祖たちの人気ランキング ― 神セブン、じゃなくて、仏セブン

これからわしが申し上げますことには、皆様にあられましては多々ご異論もお持ちのことと拝察申し上げますが、孤死あるいは枯死を淡々と待つ一人の老人の戯言としてお聞き流しいただければ幸甚に存じます。 日本人を開祖あるいは宗祖とし、日本の地で生まれた…

虎視眈々から孤死淡々へ、あるいは美しくも曖昧な日本の私のジンセイカーン

いきなりですが、みなさん、文脈なしに、「コシタンタン」って、音だけ聞いたら、まず何を思い浮かべられますか。 故事成語にまったく無知な輩(って、日本人限定で言ってますよ、念のため。そういう輩はたぶんこの漢字も「ヤカラ」って読めないかもしれない…

「いやしすぎるぞ、わが心。あさましすぎるぞ、わが行い」―『日本霊異記』著者景戒の自虐的懺悔を現代語訳で読む

遠い昔に書かれた日本語の古典を原文で読んだだけで、その文章の書き手の息遣いまで感じるということはなかなかに難しい。だから、原文の表現のニュアンスをよりよく感じ取りたければ、学者先生たちの注釈をたよりにすることになる。注釈の中には現代語訳も…

日本的思考における主体性、あるいは非実体的・可塑的「場」としての現実性

まったく誤訳のない翻訳書というものはまずありえないと言っていいし、ましてや、訳に異論の余地がある場合も含めれば、ほとんどすべての翻訳書にはなんらかの問題があるとさえ言えるだろう。 人の翻訳の粗探しをするのは、だから簡単なことで、そういう文句…

思想史の方法としての可塑的〈古層〉概念の可能性

今日は、この九月から初めてのことだと思うが、終日家に籠もって講義の準備に専念することができた。もちろん、仕事上の若干のメールは来たが、こちらから返事をする必要のある案件は一件しか来なかった。学生から届いた作文の宿題も今日は少なく、それぞれ…

漢字の彼方の遡行不可能な根源としての〈原日本語〉への永遠回帰

最初から記録とその保存を目的とし、音読されることを想定していない文書であれば、その中に用いられた漢字の読みが確定できないとしても、その意味さえ確定できれば、それで用は足りるわけで、私たちは読みの不確定性によってそれほど居心地の悪い思いをし…

『日本霊異記』― 現世の秩序を超えた驚愕の世界

古代文学史で取り上げる主要な作品といえば、なんといっても『古事記』と『万葉集』ということになるし、時間的な制約からも、他の諸作品については挨拶程度に言及するにとどめて通り過ぎることが多い。 しかし、今年度は、『日本霊異記』も少し時間を割いて…

「古代史・古代文学史」中間試験予想問題 ― 歴史的想像力を問う

史実を伝える歴史書としての資料価値は高いとは言えない『古事記』に依拠した歴史記述が今日の歴史書にはほとんどないのは当然のことです。 例えば、高校の歴史教科書として最も詳細な山川出版社『詳説 日本史B』(2014年)には、たった一回『古事記』につい…

「非歴史学的」歴史学習の目的とは

単に一通りの、それこそ教科書的な知識を習得するためだけなら、わざわざ歴史の授業など必要ないのではないでしょうか。 それだけのことなら、例えば、最初にいくつか必読文献を挙げ、読んでおくように指示し、然るべきときに定期的に試験を受けさせて、知識…

進化の中立説から古代神話世界の「古層」と世界観の「進化」へ

すでに何度か取り上げた話題ですが、修士一・二年合同演習では、レヴィ=ストロースの『月の裏側』の原書 L’autre face de la lune(Seuil, 2011)を読んでいます。学生たちには、仏語原書の購入を義務づけ、日本語訳は部分的にPDF版で配布し、演習では、原則…

声と意味 ― テキスト朗読についての酔いどれ対話

今朝、プール、サボりました。― ええぇ、どうして? 今朝、雨降ってなかったじゃん。― うん、そうなんだけど。行けないほど仕事が詰まっていたわけじゃなかったしね。でも、なんか、いいじゃん、そんな頑張らなくても、一日くらい、自分許してあげなよって、…

雨中、銀色の宝石を一面にぶち撒けたように表面が煌めくプールで泳ぐ。そして、学生の作文から友情について教えられる

午前五時起床。かなり強い雨が降っている。どうしよう、プール。やめとこうかな。無理することないよね。風邪引いたら、バカみたいじゃん。いや、ダメダメ、こんなことで挫けては、と、午前七時の開門に間に合うように、傘をさしてプールに徒歩で向かう。 プ…

哲学と詩との幸福な結婚式への招待状、あるいは神秘主義への危険な誘惑

もし、日記風に今日の記事を記すとすれば、ただ淡々と職業上の優先順位に従って処理すべき諸案件を自宅で処理しただけの一日でした、ということになります。 でも、昨日、レヴィ=ストロースの言葉を引用したときから、今日の記事で話題にしようと思っていた…