内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

2022-01-01から1年間の記事一覧

皆様、どうか良いお年を

日本時間ではもうすぐ除夜の鐘ですね。八時間の時差がありますから、こちらはまだ午後三時半過ぎです。 今年もかくして暮れようとしていますが、何かが終わりを告げるという感慨とか、やれやれなんとか一年無事に過ごせたなあというような安堵感はなく、世の…

自らを見ることができない植物たちは見られることを欲している ― ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』より

リュティガー・ザフランスキーによるショーペンハウアーの伝記『ショーペンハウアー 哲学の荒れ狂った時代の一つの伝記』(法政大学出版局、1990年)の第二刷(2005年)を購入したのは昨年一月のことだった。以来、気にはなりつつも、ところどころ拾い読みし…

働かない日本人たち ― 勤勉な近代日本人が失ったもの

1872年2月、フランス人法学士ブスケ(Georges Hilaire Bousquet, 1846-1937)が司法省明法寮(のちの司法省法学校)の教師として26歳の若さで来日する。1876年5月に帰国するまでの四年余り日本に滞在する。当時未開の法制面に顧問として十分にその役割を果た…

「眼鏡の色はばらいろでありたい」― エドワード・シルベスタ・モース(1838‐1925)

昨日引用した『逝きし世の面影』第二章「陽気な人びと」のグリフィスの手紙の一節の直後には、グリフィスの態度とは対照的なエドワード・シルベスタ・モース(Edward Sylvester Morse, 1838-1925)の学問的な姿勢が紹介されている。その紹介の段落は、「しか…

「偏見と無知と固執の壁を打ち破り、恐怖も偏愛もなしに真実を述べること」― ウィリアム・エリオット・グリフィス(1843‐1928)

渡辺京二の『逝きし世の面影』の英訳が Remnants of Days Past: A Journey through Old Japan というタイトルで出版文化産業振興財団(Japan Publishing Industry Foundation for Culture=JPIC)から2020年に出版されている。本書はその全編を通じて英語原…

逝きし人を想う ― 追悼・渡辺京二

昨日、渡辺京二氏が逝去された。齢九十二歳。死因は老衰。自宅で息を引き取られたという。天寿を全うされたという表現がふさわしく思う。新聞・テレビなどの報道では、評論家、思想史家、日本近代史家などと紹介されているが、ご本人はそのいずれでもないと…

魂の存在理由としての culture

漢語としての「文化」は、古代中国から使われていた語で、「武力や刑罰などの権力を用いず、学問・教育によって人民を教化すること(説苑・指武)」(『漢辞海』第四版、2021年)である。同辞書は第二の意味を「文字の運用能力や図書に関する知識」としてい…

哲学はギリシア、信仰はキリスト教という二重的態度

現在 Payot et Rivage社の « Petite Bibliothèque » という文庫版に収められている『哲学の慰め』の巻頭には Marc Fumaroli による三十頁を超える序文が置かれている。その序文のはじめの方でフマロリはおよそ次のようなことを言っている。 『哲学の慰め』が…

ボエティウス『哲学の慰め』日本語訳についての希望

『哲学の慰め』は、ボエティウスが反逆罪の科で525年に処刑される直前、獄中で書かれた。中世末期前後まで西洋で最も広く読まれた哲学書である。 畠中尚志訳が岩波文庫の一冊として刊行されたのは1938年のことで、以後、改訳されることもなく2001年あたりま…

尊者ピエールがエロイーズ宛の書簡で伝える最晩年のアベラールの姿

今日は日中気温が十二度まで上がった。先週末の大寒波が嘘のようである。昨日も今日も明け方から昼ごろまで雨が降ったこともあり、もう雪は跡形もない。 午後から晴れ間も広がった。ただ、風が強かった。ジョギング中、向かい風のときは押し戻されるように、…

『畠中尚志全文集』によって引き起こされたスピノザ熱

昨日の記事のツイートに対して、『畠中尚志全文集』の編者(という言葉は本書にはどこにも使われていないのだが、実質的にそう)である國分功一郎氏自身がリツイートしてくださったおかげで、普段はほとんど顧みられることもない拙ブログへアクセス数も普段…

スピノザ哲学を生きた稀有なる一学究 ―『畠中尚志全文集』(講談社学術文庫)

今日は昨日よりさらに気温が上昇し、日中は五度まで上がった。雪がいたるところで解けだす。車の通りの少ない道路上には大きな水たまりできているところが多く、それらを避けて通るのは難しい。歩道上は、一旦踏み固められた雪の表面が解けはじめて滑りやす…

氷結した運河に沿って走る

週末フランス全土を襲った大寒波も西から徐々に撤退開始、東端のストラスブールでも今日の日中は気温が二度まで上がり、雪も解け始めた。週末から灰色の雲に厚く覆われたままだった空も少しずつ薄皮を剥がすように明るくなってくる。 午後二時過ぎ、ジョギン…

この冬一番の寒さのストラスブール、雪景色の中を走る

本日、この冬のストラスブールの最低気温を記録した。零下10度まで下がった。夜半にまた少し雪が降ったようで、歩道の足跡や車の通りの少ない路上は真新しい雪で薄っすらと覆われていた。ネットの気象情報によると、今日ストラスブールはフランスで一番寒い…

健康維持には、運動も大切だが、休息も同じく大切なのかな ― マイナス九度まで下がった冬の日の感想

まだ十二月半ばであるが、フランスで暮らすようになった一九九六年九月からの二十六年余りの中でこの冬が二番目に寒い冬であることはすでに確定的である。一番寒かったのは、先日書いた通り、渡仏して最初の冬であった。その冬には氷点下十三度まで下がった…

年内最後の授業の後、よく晴れた空の下、眩しい雪道を歩いて帰る

今日も寒い。深夜にまた少し雪が降ったようだ。今日が年内最後の授業だ。自転車は諦め、路面電車でキャンパスに向かう。 交通量の少ない道路面上は一昨日降った雪がほとんど解けておらず、歩道も人通りの少ないところは雪に覆われたままだ。路面電車はまった…

運転手が雪かきしながら進む朝の路面電車

今日は小雪がちらつく程度。気温は一日零度前後で推移し、昨日の雪がほとんどそのまま残っている。街中の主要な車道にはもう雪はないが、側道の泥雪はまだ残っていて、車道を横切るときにそれを跨がなくてはならない。人通りが多い歩道上は、行きかう人たち…

ノエル近づく雪景色

一昨日、ストラスブールではあまり雪が降らないと書いたばかりだが、今日はかなり降った。午前中から小雪がちらつきはじめ、室内から眺めているかぎりはそれほどの降りとも思われなかったのだが、夕方大学に出向く必要があって外に出て驚いた。歩道には十セ…

冬、日没後の氷点下の寒気の中、一冊の本を引き取るために走る老人 ―『新撰 現代今昔物語集』「西洋在住邦人編」巻八巻より

以下、どうしたらこんなツマラナイことが書けるの? あんたも、暇なんだねぇ、というような噺である。 昨日のこと、ちょうど授業で大学にいるとき、宅配便が自宅に来たようで、お届け荷物は委託集配所預かりになってしまった。この委託集配所というのは、街…

寒波がやってきた

十一月下旬まではさほど寒い日もなく、暖房もほとんど使用することなく、この冬もどちらかといえば暖冬なのかなと少し気を緩めていたら、十二月に入って寒波がやってきた。特にここ数日は日中でも氷点下前後だ。雪は小雪がちらつくことがある程度。もともと…

ありがたき集中講義

一昨日、二〇一一年から担当している大学院博士課程前期の春期集中講義(といっても、実質は夏期休暇直前の七月末から八月最初の数日間に行うのだが)の依頼メールが東洋大学大学院教務課から届いた。二〇二〇年度はコロナ禍のためにやむなく休講にした以外…

「深き谷」となった「人を思ふ心」―「本物の心と出会おうとする冒険」

来週一週間で前期の授業をほぼ終える。一月に一コマだけ補講があるが、それは試験週間の初日に行われるので、その週の金曜日の試験のための総復習にあてるつもりだ。 この年末年始の一時帰国は諦めた。航空運賃がべらぼうに高いこともあるが、年末までに仕上…

人はいさ ― 乱れてやまない己の心を秘められたまま凛と立たせる張りと勁さ

昨日の記事で引いた和泉式部の歌は「人はいさ」で始まるが、『和泉式部集正・続』での用例はこの一首のみ。『日記』にも一首見られるが、これは宮(敦道親王)の歌である。 「人はいさ」といえば、百人一首にも採られた古今和歌集の貫之の歌「人はいさ心もし…

ながむる女の魂はいづこにありや

和泉式部が「あくがる」という動詞をどれくらい使っているかちょっと気になって調べたら、『和泉式部続集』に収録された「人はいさわがたましひははかもなきよひの夢路にあくがれにけり」の一首のみであった。『日記』には出て来ない。これだけの事実から早…

「熱なく燃える幻想的な螢の光」あるいは「老境のセックス」― 寺田透『和泉式部』より

昨日言及した寺田透の『和泉式部』(筑摩書房、『日本詩人選8』、1971年)には、当時としてはかなり大胆と取られたであろう表現が見られる。しかし、和泉式部に関しては、それくらいの覚悟がないと、立ち入って論じることはできないのだと思う。 この歌の心…

貴船神社の魔界の只中で飛び交う螢として「あくがれる」和泉式部の魂

「あくがる」という動詞が使われている和歌としてすぐに思い出されるのは和泉式部の有名な歌「物思へば沢の螢もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる」である。 『後拾遺集』(雑六神祇)に見える。『和泉式部集正集』『和泉式部続集』いずれにも見られない…

「あこがれ」とロマンティスム、あるいは〈私〉の居場所について

日本語の「なつかし」、フランス語の « nostalgie »、ドイツ語の « Sehnsucht » それぞれの意味と志向の違いについて2019年12月6日の記事から五日間にわたって検討した。以来、毎年学部二年生の「研究入門」の授業でこの話題を取り上げる。日本語をよりよく…

失われてゆくカルティエ・ラタン、さよならソルボンヌ、そしてまたいつかどこかで

昨年のパリ・ナンテール大学でのシンポジウムは11月末のことだった。その初日の夕刻、リュクサンブール公園脇からセーヌ川の方へと下っていくサン・ミッシェル大通りの坂道を歩いていて驚いた。まるでシャッター街なのだ。ほとんどの店がシャッターを下ろし…

私の「孤独のグルメ」― パリ十八区のワインにこだわった小さな庶民的なレストラン

昨晩、シンポジウムを終えてパリに移動し、若き研究者たちと二時間あまりサン・ラザール駅近くのブラッスリーで歓談した後、彼らと別れ、ホテルへの帰路についた。もう八時を回っていたので、このままホテルに帰ろうかとも思ったのだが、夕食をちゃんとは取…

パリ・ナンテール大学シンポジウム二日目― 「ダメなものはダメ」、若き研究者たちへのメッセージ

二日目は、午前中に四つ発表があった。すべて日本からのオンラインでの発表で、それをナンテールの会場に来たわずか六人で聴くという、ちょっと奇妙な形態になった。 接続状態がよくなかったり、発表者がZOOMの操作に慣れていなかったりで、途中で音声が途切…