内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「あそぶ」―外在的拘束から解放された自律的時空間を楽しむこと

「あそぶ」という動詞、「あそび」という名詞、「あそばす」という動詞は上代から広く使われていた。記紀万葉神楽歌にその用例を多数見ることができる。遊びの種類は、奏楽・歌舞・宴会・行楽・舟遊び・遊猟・碁など多岐にわたり、また時代・階層によって異…

会読 ― 江戸時代の共同読書方法の思想的可能性

前田勉の『江戸の読書会 会読の思想史』(平凡社ライブラリー版2018年。初版平凡社選書2012年)は、江戸時代に藩校や私塾で広く行われていた「会読」という共同読書法に焦点を合わせ、そのはじまりから展開を詳細に辿り、藩や身分の枠を飛び越えた横議が活発…

電子書籍は超便利、でも、愛せない、だけど、これからもよろしく

人様に披瀝できるような読書法など私にはありません。ただその場のなりゆきで芋づる式に次から次へと書物を渡り歩いているだけ。だから、何一つまとまった仕事ができない。すべては散発的な思いつきの欠片ばかり。情けない。 この傾向は、電子書籍を利用する…

なんでもあり、好きにやっていいよ ― 与えられた自由を善用する若者たちの真剣さに未来への希望を託す

学部最終学年三年生の後期も、前期同様、三科目担当している。「日本文明文化」、「近代日本の歴史と社会」、「古典文学」の三つ。 「日本文明文化」は、日本語での授業なので、内容的にはとてもやさしい。おおよそ中学校の教科書程度。この授業では、文字資…

ダンディーと鏡とメランコリー、あるいは「悲しみに沈むたそがれの美しさ」

自身の姿を「隈なく」「忠実に」映すことができる鏡を手に入れた近代人は、見かけの自己とそれを見ている自己との乖離に苦しむようになる。この乖離を自覚ししつつ、見かけのエレガンスにすべてを賭けるダンディーの心性はメランコリーであるほかはない。見…

哲学史と技術史の交叉点としての〈鏡〉

Sabine Melchior-Bonnet, Histoire du miroir, Éditions Imago, 1994(サビーヌ・メルシオール=ボネの『鏡の文化史』法政大学出版局、「りぶらりあ選書」、2003年)は、西洋の心性史研究の最良の成果の一つであると言って差し支えないと思う。古代から現代…

近代の覚醒した自己、あるいは只管「うわべ」に憂き身を窶すダンディーの勝利なき戦い

近代フランス文学におけるダンディズムの主役の一人がボードレールであるということに異論はないであろう。そのボードレールにとって、ダンディズムとは何なのか。自己の内面と外面との必然的な乖離、それにもかかわらず両者は不可分であること、それゆえに…

内感に基礎を置く自我論から、〈外見〉へと自己を脱中心化するダンディズムへ

昨日の記事の『鏡の文化史』からの引用箇所のカギ括弧内の引用は、バシュラールの『水と夢』の一節である(L’eau et les rêves, Le Livre de Poche, p. 34)。『水と夢』には、ナルシスについてのきわめて興味深い分析が緻密に展開されているので、ナルシシ…

近世日本の「かぶき者」と西洋近代の「ダンディー」との比較論

今日の「古典文学」の授業の前半は、江戸期の歌舞伎について一通り教科書的に説明しました。公教育システムの中で授業を担当する立場にある以上、「どこに行っても通用する」基礎知識、言い換えれば、どの教科書にも書いてあるようなあまり面白くもないこと…

電子書籍衝動買いの効用

なにかむしゃくしゃすることがあったり、ストレスが溜まったりするとき、後先考えずに衝動買いをして気分の転換を図るという「暴挙」に出るのは、どちらかといえば、女性に多いのでしょうか。 私などは、そのような精神状態に置かれても、そもそもパッと衝動…

冬の日の憂鬱

ここ数日寒い日が続いています。昨日はこの冬何度めかの降雪もありました。それでも朝はいつものように屋外プールに泳ぎには行きました。でも、なんというか、とくにこれといった理由はないのですが、ちょっと気持ちが沈みがちです。なにも積極的にする気に…

「元がない努力」がもたらす底なしの転落 ― 堀川惠子『永山則夫 封印された鑑定記録』を読みながら

今からすでに半世紀以上前の1968年に世間を震撼させた連続殺人事件の犯人、永山則夫が処刑されたのは、事件の翌年の逮捕から28年後の1997年のことである。獄中で執筆され1971年に刊行された手記『無知の涙』はたちまちベストセラーとなり、支援者たちも集ま…

近代日本の旅行者たちが西欧への航路の途次に見たもの

今日のように海外への旅行は飛行機を使うのが普通で、遠国への船旅はごく一部のお金持ちたちだけに許された極めつけの贅沢になってしまった時代に生きていると、日本から西欧への旅は船を使って一月以上もかかっていた時代に、その船旅の途次に旅行者たちが…

日本の中の世界史 ― 日本におけるキリスト教の世紀

「近代日本の歴史と社会」という科目のことは先日14日の記事で話題にしたが、その前期の期末課題は、簡略化すると、「16世紀後半から17世紀前半にかけてのいわゆる「日本におけるキリスト教の世紀」の一断面を当時日本に在住した西欧人の視点から叙述せよ」…

歴史叙述こそ、最高の知的表現

渡辺京二の『幻影の明治 名もなき人びとの肖像』(平凡社同時代ライブラリー2018年、同社刊初版単行本2014年)の巻末に収められた新保裕司との対談の中に今日の記事のタイトルに掲げた表現が出てくる。 この表現は、最近の傾向として優れた歴史叙述が日本で…

明治期に来日したフランス人画家による日本人の「古いほほえみ」擁護論

渡辺京二の名著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年。初版、葦書房1998年)は、幕末から明治にかけて来日した異邦人たちの目に映った滅びゆく日本の文明の姿を、彼らのものした著作の徹底した博捜を通じて浮かび上がらせることに成功した、圧倒…

1960年代に現象学が日本古典研究に与えた衝撃の証言

明日から古典文学の後期の授業が始まる。前期は、昨日言及した歴史の授業と同じような理由で、今年度限りの移行措置として、中世文学史と近世文学史とにそれぞれ半分づつの時間を割いた。昨年までのカリキュラムでは、二年次に上代文学史と中古文学史がそれ…

江戸時代を一気に駆け抜ける

「近代日本の歴史と社会」と題された学部最終学年必修科目は、今年度から導入された新科目である。昨年度までは「近世史」(前期)「近代史①」(前期)「近代史②」(後期)の三科目だったのを通年の一科目に圧縮したものである。しかも、同じく最終学年前期…

ただ一つの真理を発見するための謙譲の精神

昭和二十三年とその翌年に、文部省は『民主主義』という上下二巻の中高生向けの教科書を編纂・刊行し、この教科書は1953年まで中学高校で使用された。その復刻版が1995年に径書房から出版され、2016年には幻冬舎から短縮版が出版されている。両者ともに現在…

寛容と自己批判 ― 渡辺一夫「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」より

2017年に中公文庫オリジナル版として刊行されたトーマス・マン『五つの証言』(渡辺一夫訳)には、渡辺一夫自身の寛容論ほかの代表的エッセイが併録されている。朝鮮戦争が勃発した1950年の翌年に書かれたエッセイ「寛容は自らを守るために不寛容に対して不…

西鶴と芭蕉 ― 両者の間の迷いからはじまる学問研究

廣末保の論文「西鶴と芭蕉――西鶴の浅ましく下れる姿」の初出は1962年、翌年『芭蕉と西鶴』(未來社)に収録される。後に『廣末保著作集』第三巻『前近代の可能性』(影書房、1997年)に再収録される。手元にあるのはこの版である。 この論文を読んだのは、昨…

古典文学前期末課題

学部最終学年の必修科目の一つである「古典文学」の期末の課題は、簡単に要約すると、以下のような課題であった。 「文学とはなにか」というテーマをめぐる芭蕉と西鶴とを招いた討論会を歴史的条件を尊重しつつ想像してみよ。ここまでは、昨年とほぼ同じなの…

振替便搭乗を待ちながら

8時20分過ぎ、羽田空港国際線ターミナル着。カウンターでの荷物預け、保安検査場、パスポート検査(顔認証システム)、すべて順調。振替便定刻出発予定。これで一安心。 こうしている間にも大学からは同僚や学生たちから次々にメールが入り、今やっとその処…

搭乗予定便欠航

予定通りならば、今頃、フランスへと向かう飛行機の機上の人であったはずである。ところが、今この記事を書いているのは、一時帰国中の滞在先である妹夫婦の家である。何かあったのか。 今朝七時頃起床。メールをチェックして驚いた。エール・フランスから、…

冊封体制とテロリズム ― 現代世界を読み解く二つのキーワード

テロリズムが、現代世界、ことに二十一世紀の世界の特徴的な現象の一つであることは今さら言うまでもないだろう。テロリズムは、事典類によると、例えば、次のように定義されている。 特定の政治的目的を達成するため、広く市民に恐怖をいだかせることを企図…

日一日と終わりが近づくこの冬休み、今年の泳ぎぞめ

フランス語には、日本の「正月」に相当する概念はないし、「年の瀬」についても、感覚的にぴったりそれに該当する言葉はない。ノエルが終わり、年を越せば、一般に第一月曜日が仕事始めのことが多いから、早いときは二日から仕事が始まる。街全体を領する駘…

AI の拓く未来の恍惚と不安、そして旧前田侯爵邸見学の記

今日の昼は、代々木上原駅近くで、AI の分野で最先端の研究をされていて、現在はケンブリッジ大学の客員研究員としてサバティカルイヤーをお過ごし中のT先生と年末年始一時帰国中のミニ「新年会」。三月からのサバティカルの後半はコロンビア大学で過ごすと…

友人宅訪問記

今日の午後、高校時代からの親友の家を訪ね、午後一時前から十一時近くまで、図々しくも延々十時間お邪魔した。奥様が用意してくれた昼食を賞味しながら、昼から酒を飲み(正月祝ということで、奮発して獺祭の米焼酎を行きがけに買って持っていった。これが…

どんな本を買って帰るか ― 帰国のたびの悩ましき出会い

これまでの一時帰国のときと同様、フランスに持って帰る本を滞在中にまとめて購入した。とはいえ、今回は、預けられるスーツケースは一つ、その重量の上限は23キロなので、大した量は持ち帰れない。それは最初からわかっていたことであるから、買い過ぎに気…

箱根駅伝往路テレビ観戦

今日は、朝から昼過ぎにかけて、箱根駅伝往路のテレビ中継をずっと観戦していた。子供の頃から、箱根駅伝は、いわば正月の風物詩のように、なんとなくテレビ中継を見てはいた。それにしても、近年の人気の高まりには驚かされる。なぜこれほどまでに駅伝は見…