2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧
今日の記事は至極ぼんやりした内容です。 午前四時起床。来年度施行カリキュラムの素案は今日が締切り。それを早く仕上げて送信しなくてはいけないという気持ちがこんなに早く目覚めさせたわけだが、ぜんぜんやる気にならない。だらだらとネットサーフィンで…
弊日本学科では、来年度から大幅にカリキュラム変更いたしますので、現行の日本古代史の講義は今年が最後になります。ってなわけで、今年度はかなり好き放題にやっています(学科長だぜ、文句あっか)。 「今日なんか、もうほとんど哲学の講義だったよね」と…
昨日の記事では、独白的ではありましたが、少し「毒を吐いて」しまいました。そういうことは拙ブロクでは極力したくないと常日頃思ってはいるのです。そんなことをしたって何もならず、後味が悪いだけですから。案の定、昨晩は気分悪かった。飲んでも酔えな…
セミナーの発表は昨日午後までで、ディナーは昨日の記事で言及したレストランで参加者全員で愉しく会食。車でCEEJA に戻ったときは11時を過ぎていた。本当に愉しく有意義な二日間を過ごすことができて幸いであった。 今日の午前中には、コルマール市内観光が…
二日目の今日も発表は四つ。 最後の発表は、すでにフランスのある大学の准教授に数年前になっている若手研究者(私はその採用面接の際の外部審査員の一人だった)による、日本企業におけるテレワークの現状分析がテーマ。最新のフィールドワーク調査に基づい…
今日と明日の二日間、国際交流基金を主催者としCEEJA を会場としたヨーロッパ日本研究知的交流セミナー「デジタル・メディアとコミュニケーション」に、日本学科を代表してオブザーバーとして(って、何をすればいいのかわからないまま)参加するため、今朝…
ポール・ジェラルディ―(Paul Géraldy, 1885-1983)というフランス人詩人・劇作家をご存知だろうか。フランスでさえ、それほど知られてはいない。私自身、ほとんど彼について知るところはなかったし、今もほとんどない。今後、特に調べようという気もない。…
エルンスト・ゴンブリッチが対談の名手ディディエ・エリボンを得てその質問に答える形で語った知的自伝 Ce que l’image nous dit, Arléa, 2009(初版は Adam Biro 社から1991年刊)を数日前から息抜きに読んでいる。実際の対談は英語で行われたのだが、エリ…
ストラスブールに赴任してきた三年前から気になっていたことの一つが研究室の図書・備品の未整理状態でした。どう見ても、何年間も誰も何も整理しておらず、届いた年報・紀要等をただ本棚に並べていくだけで、そのせいでもう本棚全部が一杯になっていたので…
いろいろ迷った挙句、今年度前期修士二年の演習のテキストは、末木文美士『日本宗教史』(岩波新書、2006年)にしました。 以下が主たる選択理由です。基本的な問題提起が大胆かつ刺激的であり、宗教を通じて日本思想史への一つの良きアプローチになっている…
溝口睦子著『アマテラスの誕生 ― 古代王権の源流を探る』(岩波新書、2009年)の「あとがき」に、太陽女神アマテラスについて、こんな一節があります。 歴史の変化に翻弄されて、その時々に大きく性格を変えながら、しかし弥生以来二千年を越える時間を、日…
最初に、ちょっとだけ、場合によっては、あるいは、人によっては、気を悪くされるかも知れないことを書かせていただきます。 この文字通りの拙いブログの記事にたまにコメントをくださる方々がいらっしゃいます。そのこと自体は、読んでくださっているからこ…
日本語の初歩では、一般に、敬体、つまり「です」「ます」体をまず習います。常体よりも習得が容易で、かつ、実際話すときにも、敬体を原則としたほうが無難だからです。 ちょっと日本語に慣れたからといって、調子に乗って常体を使うと、いくら話しているの…
学部一年生以外の学年、つまり学部二・三年と修士一・二年の講義や演習は一つないし二つ担当しています。そのどの授業でも毎年最初に学生たちに言うことの一つが音読の大切さです。はっきりと大きな声に出して、正しくテキストを読むことがコトバの習得にと…
具体的に場所や人名を書くと差し障りがあるかもしれないので、ごく曖昧に今日の感想を書きます。 立場上、組織を代表するために行ったほうがいいだろうという公的なレセプションが夕方からあり、それに出席して今帰ってきたところです。 私個人としてではな…
講義のためなら、それが学生たちにとってよりよいものであるように何時間でもその準備に割くことを厭いません。それは愉しくさえあります。 大学行政にかかわる事項に関しては、それと真逆で、必要最小限の時間で効率よく済ませたいといつも思っています。 …
今日が学部二年生の古代文学史の初日。明日が同じく二年生必修の古代史。この二つの科目は合わせて一つの教育ユニットを形成している。教育内容の多様性という観点からはそれぞれ別の教員が担当するのが望ましいのだが、今年は諸般の事情で、三年前同様、私…
今日の修士一・二年の合同ゼミは、正規登録者十四名は全員出席。パリのイナルコで日本学部課程を修了し、この九月からストラスブール大学芸術学部の修士一年に登録し、自由聴講生として出席したいという女子学生一人を加えて、十五名の出席者。正規登録者だ…
今日は、昨日話題にした研修のメイン・プログラムである研修参加学生六名による英語での個別プレゼンテーションであった。午前十時に開始、昼食を挟んで午後五時まで行なわれた。 昨日は、研修参加学生たちと引率の先生以外は、研修アシスタントのこちらの修…
ここ数年特にそうだが、日本の大学からストラスブール大学に海外短期研修プログラムで来る大学生が増えている。一週間前後の滞在期間中、ストラスブールにある様々な国際機関を訪問したり、大学でフランス人学生と交流の時を持ったりする。 今日もそのような…
初めてフランスの地に降り立ってから今日で二十一年が経った。 先週、街の中心部に買い物に自転車で出かけたとき、少し遠回りにはなるけれど、いつも通らない道を通ってみようと、気の向くままに道を選んでいたら、二十一年前、最初の十ヶ月ほど住んだアパー…
実践がその理論的正当化を見出すのは、プラグマティズムの中ではない。なぜなら、成功が行動への促しになるとしても、現実の中での成功は真理の規範ではないからである。つまり、終わりよければすべてよし、というわけにはいかない、ということである。 たと…
金曜日はプールの開門が九時と遅い。今日の午前中は十一時から新入生との面談が入っているだけだったので、その前に一泳ぎすることができた。しかし、もう授業が始まっている来週の金曜日は朝泳ぐことができない。その日は、授業の後、午後にも、来年度から…
今日、朝はプールに行かず、午前中、誰もいない学科教員室で仕事をいくつか片付けた。その後、自宅に戻って仕事を続け、午後二時半頃プールに行った。週日の午後、曇りがちの涼しい日だったこともあり、とても空いていた。三十分間、コースに私一人だった。…
今日、新入生向けのオリエンテーションがあった。 午前中は、LEAという学部(二つの外国語を同時に学び、それに加えて卒業後すぐに仕事で使える実践的知識を身につけることを主たる目的とした学部。この学部で日本語と英語を同時に学ぶことができる。毎年五…
今日もまた、日々の雑務からひととき心を離脱させ、H. B. Sinceur, Cavaillès に導かれながら、カヴァイエスの哲学を淡々と追っていく。 カヴァイエスにとって、意味は、それを言い表す表現に対しては相対的な自律性を、その意味に依存する心的作用に対して…
理解することが、おのずと顕われるものを捉えることだとして、そのおのずと顕われるものとは何なのか。 スピノザ、伝統的な形而上学、デカルト主義的あるいは近代の直観主義においては、それは〈存在 l’Être〉あるいは神、諸事物の本質、数学的対象などであ…
今日も、H. B. Sinceur の Cavaillès の昨日の続きの一頁を繰り返し読んでいた。 同書の第三章「哲学」は、二つの節からなっており、それぞれ「哲学すること、それは理解することである」、「理解すること、それは行動することである」と題されている。ここ…
H. B. Sinceur の Cavaillès に依拠しながら、カヴァイエスによるの哲学の定義をさらによく理解することに努めよう。 それは、単に知識としてその定義を記憶するためではなく、哲学を歴史的現実の中で実践するとはどういうことなのかを、改めてその基本に立…
一昨日の記事で取り上げた Hourya Benis Sinceur, Cavaillès の第三章はカヴァイエスにとっての哲学の定義が主題である。その定義を一言で要約すれば、「内側から理解する comprendre du dedans 」ことである。 しかし、これだけではもちろん誤解を招く。特…