内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

紫式部の生涯(六)

紫式部が自ら物語を書き始めたのは、夫宣孝を失い、一年の喪に服した後のことだが、いつからかは正確にはわからない。ただ中宮彰子づきの女房として出仕する前にすでにその物語が宮中でも評判になっており、その評判は道長の耳にも達していた。当時は紙も墨…

紫式部の生涯(五)

二日間で摘録を終えるはずだった新日本古典文学大系版の解説にはまだ書き留めておきたい事柄がいくつかあるので、今日と明日も同解説からの摘録を続ける。 長徳ニ年(九九六)、父為時が越前の国守に任じられ、紫式部は父とともに任地に下向する。式部にとっ…

紫式部の生涯(四)

新日本古典文学大系版の解説からの摘録を続ける。若干表現を補ったり、簡略化あるいは省略したりしたところがあるが、細部に関わることなのでいちいち断らない。新潮日本古典集成版の解説の記述と重なる点ももちろんあるが、それぞれに専門研究者としてご自…

紫式部の生涯(三)

今日と明日は新日本古典文学大系版(一九八九年)の伊藤博氏による解説から摘録する。確実とされる史実についてはどの解説も同様なので、それらは省く。逆に、『紫式部日記』の同じ箇所に依拠している箇所でも解説者の解釈が打ち出されているところは録した…

紫式部の生涯(二)

新潮日本古典集成版解説からの摘録を続ける。その叙述が最も信頼できるからでは必ずしもない。一九八〇年以降に専門研究者たちによって提示された紫式部の「生涯」の一つのヴァージョンという以上の意味はない。むしろそのことの意味を、昨日言及した五冊の…

紫式部の生涯(一)

手元には五冊の『紫式部日記』校注本・訳注本がある。出版年順に、新潮日本古典集成版(山本利達校注、1980年)、新日本古典文学大系版(伊藤博校注、1989年)、新編日本古典文学全集版(中野幸一校注、1994年)、講談社学術文庫版(宮崎莊平訳注、2002年(…

『紫式部日記』再読 ― 四半世紀の時を超えて

『紫式部日記』は、私が日頃から愛読している日本古典のなかでもひときわ思い出深い作品である。1998年、ストラスブール大学の日本学科に語学講師として採用された年、最初に担当した四つの授業のうちの一つが、当時は学部しかなかった学科の最高学年である…

日本学科修士一年の学生たちによって書かれた秀逸な哲学的レポート三本を讃えて

一昨年十一月に生成AIが市場に登場して以来、学生にレポートを書かせる意味が深刻に問われるようになったのはフランスも同じである。 もうこれって完全に生成AI作だねっていう「現行犯逮捕」にも比せられるケースも学部レベルレでは頻発しているようである。…

また走れるようになった喜びを噛みしめながら走る

今日の午後、採点が一段落したあと、実に九日振りに走った。一四日に東京で走って以来である。こんなに長い期間まったく運動しなかったのはこの十五年間ではじめてである。最初は恐る恐る。もしふらついたり息切れがするようだったらすぐにやめるつもりで走…

ぼちぼち採点作業を始める

仕事ができそうなところまで体が回復してきたところで直ちに作業に取り掛からなくてはならないのは、先週の二つの期末試験の採点と15日が締め切りだった修士一年のレポートの評価である。その他年内にやり残してあった語彙テストの採点は今朝終えた。いつも…

日本滞在中に観たHNKドラマのなかから推薦二作品 ―『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』『あれからどうした』

今朝、目立った症状はすべてなくなっていた。まだ少し咳が出るが、喉はもうほとんど痛まない。ただ、この五日間での体力の消耗は相当に激しく、運動ができる体に戻るにはまだ数日かかりそうだ。もうなんでも食べられそうだが、量は病気以前の半分くらいしか…

無思慮で無益な日本滞在の高い代償

昨夕、ほぼ四日ぶりに食事(と言えそうなもの)を再開した。といっても、空っぽな弱った胃に負担になるようなものはもちろん摂取できるはずものなく、野菜コンソメのだしの素を解いて卵を二つ落としたスープを飲んだだけである。それでも、ちゃんと味のある…

今年度前期期末試験監督終了

今日午前中の試験監督をやっとのことで終えて昼過ぎによろよろと帰宅した。ほぼまる三日、ほとんど何も食べていなのに等しい状態で外に出たとき、最初はフラフラしてまっすぐ歩くことができなかった。徒歩八、九分の路面電車の最寄り駅まで歩くのもしんどか…

つばを飲み込むだけでも激しい痛み

今日も症状は一向に改善しない。熱は四十度にまで一時達し、少し下がってからも高止まりのまま。布団にくるまって寝ているのに背中に悪寒が走り続ける。何よりもつらいのは、つばをちょっと飲み込んでも激しく痛む喉である。口蓋垂および口蓋扁桃が赤く腫れ…

症状さらに悪化する

昨日に比べて症状が改善するどころか悪化する。悪寒、発熱、口蓋垂の腫れがひどく、机に向かって座っているのもしんどく、日中はほとんど布団の中で過ごす。寝ていてもつばを飲み込むたびに口蓋垂に強い痛みが走る。午後四時までには試験監督のために大学に…

久しぶりの体調不良

昨日、午後ニ時過ぎに帰宅してから、妙に体がだるく、長旅直後のいつもの疲れ方と違うことに気づく。いつもなら帰宅直後に荷を解いてすぐにすべてを所定の位置に戻すのだが、そんな気になれない。TGVに乗車中から覚えていた違和感がはっきりと徴候として現れ…

復路が順調すぎて駅で寒さに震え、結局ホテルのバーに避難する

搭乗便はシャルル・ド・ゴール空港に定刻よりも一時間早く6時55分に着いた。預けたスーツケースも荷物引き取り場に着いたときにはすでにベルトコンベア-から降ろされていた(誰が下ろしたのだろう?)。ここまでは完璧である。 ただ、その分、乗車予定のTGV…

最初で最後

本日深夜、正確には15日午前一時発のエール・フランスAF293便でフランスに戻る。明日月曜日午前7時55分シャルル・ド・ゴール空港到着予定。昼過ぎにはストラスブールに帰り着けるはずである。 今週は試験週間で、私の授業の試験は水曜日と金曜日にそれぞれ一…

これからどのように協力関係を発展させていくかという課題

二日間に渡る日仏シンポジウムは無事終了した。 主催者である早稲田大学からストラスブール大学日本学科への連絡が諸般の事情で10月後半になってからと遅く、ストラスブール大学側から見込める参加者が当初から少なく、参加を打診された本人が希望しても、日…

日仏シンポジウム「病とその表象」プログラム

今日明日のシンポジウムのプログラムは一般公開されているので、ここに転載します。特記なき場合の発表者の所属は早稲田大学です。今日の発表は、いずれも興味深いものでした。私の発表も意外にもわりと好評でした。 2024年1月12日(金)10:00〜12:00 分科会…

日仏シンポジウム「病とその表象」

明日と明後日、早稲田大学で開催される日仏シンポジウムに発表者として参加する。プログラムには「シンポジウム」という言葉が使われているが、実質的には「ワークショップ」と捉えた方がよい。必ずしも一般化はできないが、今回に関していえば、私が理解し…

街の匂いを嗅ぐ

今回の一時帰国中、期せずして、今まで訪れたことのない街をいくつか歩きまわったりジョギングしたりして、気づいたことがある。それは、それぞれの街にはそれぞれの「空気」あるいは「匂い」があるということである。 ほとんど何の予備知識もなくいきなりそ…

ボケる

今朝、ホテルで荷造りをしていて気づいた。キャリングケースに入ったワイヤレスヘッドホンがない。機内で音楽を聴くために持参したもので、ホテル入りしてからは使うことはなかった。ただ、チェックインして荷を解くたびにスーツケースからは出して、室内の…

フジヤマ三昧

朝、投宿先の藤沢駅近くのホテルから境川沿いを河口に向かって走る。片瀬江ノ島駅まで4キロほど。そこから鵠沼海岸沿いの遊歩道を、海を左手に見ながら1,5キロほど走る。ほぼ快晴で、斜め左前方に富士山の全容がよく見えた。富士山の左手前には伊豆半島が前…

円覚寺に拝観料を払わずに入れてしまう「裏道」を走る

今朝、今日からの投宿地である藤沢へと移動する前、円覚寺方面を目指してジョギングした。これで三日連続になるが、今日はコースを少し変えてみた。大船からら北鎌倉方向に向かって横須賀線の左側の細道を走った。車両通行禁止ではないようだが、車が通るこ…

東慶寺、西田幾多郎の墓に参る

昨日テレビのニュースで「明日から三連休」と聞いて、「なんで八日月曜日が休みなの?」とよくわからなかったのですが、「成人の日」なのですね。二〇〇〇年から一月第ニ月曜日が「成人の日」であることを忘れていました。 今朝もジョギングに出かけました。…

早朝、北条政子と源実朝の墓に参る

夜明け前、大船から鎌倉方面へとジョギングに出かけた。大船駅前ホテルから北鎌倉駅まで最短経路は2,2キロくらい、鎌倉駅まで5キロ余りである。ただ、県道の歩道は狭く、側溝を単にコンクリート板で蓋しただけの箇所も多く、決して走りやすくはなかった。 北…

真昼の海

日中よく晴れ、春先のような陽気。今日からの投宿地である大船駅からモノレールに乗ってふらふらと海を見に行く。モノレールの終点湘南江ノ島駅上からは富士山がよく見えた。 湘南海岸を腰越から七里ヶ浜まで歩く。飛行機の上からではなく、海岸から海を見る…

災害で失われたのは人間の命だけではない

規模の大小を問わず、何らかの災害があったときに報道される犠牲者の数は人間に限られる。それは当然のことだと私も思う。 命の「優先順位」からすれば、人命救済が第一という大原則についても何の異議も私にはない。いや、自分は何もできないくせにこんなこ…

箱根駅伝往路初生観戦記―ただ応援するということ

子供の頃から渡仏する一九九六年まで、正月といえば箱根駅伝をテレビで観戦していました。渡仏後年末年始に初めて帰国したのは二〇〇五年から二〇〇六年にかけてで、多分のその時も箱根駅伝をテレビ観戦したと思います。それ以後、年末年始に帰国できたのは…