2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧
自分自身はオーガナイザーではないし、オーガナイザーたちの労苦がどれだけ大きいか知っているだけに、今回のワークショップにケチをつけるようなことは言いたくない。三つのキー・ノートはとても充実したものだったし、九つの若手研究者の発表もそれぞれの…
今日はワークショップ第二日目。今日明日はZOOMで自宅から参加。といっても、今日明日と万聖節の休み中に仕上げておかなくてはならない仕事がいくつかあり、正直に言えば、ZOOMのマイクとカメラは切ったまま、発表を聞き流しながら、自分の仕事をしていた。Z…
午前6時から7時までジョギング。9,7キロ走る。9時過ぎ、自宅を出る。9時50分発のTERでコルマールに向かう。10時25分コルマール駅着。CEEJAの新拠点は市内にあり、駅から徒歩で数分である。コルマールから車で20分近くかかり、他に交通手段もなかったキン…
昨日の記事で取り上げた西垣通氏の一連の著作を読んでいると、現代の高度情報化社会が抱えている諸問題と様々な可能性について学ぶところが実に多い。立て続けに読んでいると、どんどん引き込まれ、知的興奮を覚える。 が、だんだん息切れがしてくる。時代か…
昨日話題にした森正人氏の『戦争と広告』の後にメディア・リテラシーの授業の前期後半で取り上げるのは西垣通氏のいくつかの著作である。いずれも電子書籍版である。紙版の初版の刊行年順に列記すると、『こころの情報学』(ちくま新書 1999年)、『ネットと…
今年度のメディア・リテラシーの授業では、現在メディアを通じて実際に流通している情報を直に取り上げるのではなく、そもそもメディアとは何なのか、それは私たちの社会生活の中でどのように機能しているのか、前世紀のメディア革命と二十一世紀のICT技術の…
「トランスナショナリズム」という言葉をジャパンナレッジで調べてみたら、ちょっと驚いたのだが、見出しとしてヒットしたのは『世界大百科事典』のたった一件だけだった。幸い、その説明はかなり詳しく、それを読めば、およそどのような概念なのか解る。そ…
今週の金土日の三日間にわたって、法政大学国際日本学研究センター、日文研国際日本研究コンソーシアム、アルザス欧州日本研究センターの三者の共催で開催される若手日本研究者のワークショップは、今回が四年連続四回目で、私は毎回オブザーバーとして参加…
大病はできればしたくないし、いつも痛みに苦しめられるのも御免被りたいが、今回の右足裏の鶏眼のように小さな痛みは、それ自体はやはり歓迎しかねるが、あまり深刻にならずに、なぜそうなったのか振り返って考える機会を与えてくれ、体の調子により敏感に…
一昨日の記事で書いたことに反して、今日、ジョギングした。五時三十九分から六時四十九分までの一時間十分で11,3キロ走った。昨日の鶏眼対処法が有効であることがわかったので、昨日以上にテーピングを厚くして、鶏眼の芯をその中に埋没させるようにしたら…
今日、午後四時から大学の学科教員室で修士一年の一人と修論について面談する約束がはいっていた。昨夜からフランス中央北部を中心に暴風が吹き荒れ、アルザス地方でも朝から鉄道ダイヤに乱れが出るほどだった。午後にはその暴風も収まり、晴れ間が広がった…
今朝十時に完成原稿を日本の編集者に送信した。七時間の時差があるから、先方にとっては午後五時になる。送信直前まで、いささか冗長に過ぎると思われる想い出話のところをすべて削除してしまうかどうかで迷った。結局そのまま送り、編集者の意見を聞くこと…
明日締め切りの原稿を昨日ほぼ書き上げ、今日の午前中はその推敲に充てた。いわゆる学術論文ではないし、そうかと言って私的な感想を綴るだけの随筆でもなく、なにかどっちつかずの中途半端な文章になってしまった。ほんとうにこんなものでいいのだろうかと…
今日は、「日本の文明と文化」という日本語のみで行われる授業の中間試験だった。問題も解答も日本語である。いわゆる小論文形式で1000字から1200字という制限を設けた。答案は、400字詰め原稿用紙を使い、縦書きで書かせた。試験問題は一週間前に告知してあ…
午前4時起床。5時より原稿執筆再開。8時前にほぼ完成。結びはあえて書かなかった。一日「寝かせて」から仕上げるつもり。8時32分から10時9分までジョギング。走行距離15,7キロ。主にロベルソーの森の中を走る。この季節、落葉が土の小道を覆う。その上を…
今日は、9月8日以来38日ぶりにジョギングもウォーキングもせず、一日家に籠もりきりであった。 昨晩、学科の同僚二人と午後6時半から深夜零時近くまで市の中心部にあるカフェで談笑し、そこまでの行き帰りは徒歩で合計8キロほど歩いた。帰宅途中で交通事故…
今日の記事は昨日の記事への若干の補足にとどまる。『教導説話』の Gwendoline Jarczyk と Pierre-Jean Labarrière による仏訳 Discours du discernement (Les traités et le poème, Albin Miche, 1996 所収)は、昨日相原信作の邦訳を引用した箇所での「事…
今月20日締め切りの原稿のことをこの一月半忘れたことは片時もないと言ってもよいくらいなのだが、その原稿のために、今朝方明日の授業の準備を済ませた後は、マイスター・エックハルトの「衝き破る durchbrechen」(名詞は「突破 Durchbruch」)について調…
来年2月の日仏合同ゼミの課題図書として新渡戸稲造の『武士道』を選び、9月から修士一年の学生たちと読みはじめ、今日の演習で第14章まで読み終えた。来週は休講、再来週一週間は万聖節の休暇なので、残りの最後の3章は休み明けの11月3日に読む。それ以…
日本語での武士道についての研究書は膨大な数に上り、一通り目を通すことさえ素人の私にはとてもできない。現在簡単に入手できる武士道についての一般書に話を限っても、その数には驚かされる。それらの著作を通覧すると、その中には、れっきとした歴史学者…
André Lalande の Vocabulaire technique et critique de la philosophie の véracité の項を読むと、昨日見た TLFi の定義からだけでは明らかではないことがさらにいろいろとわかる。 まず、véracité は bonne foi や sincérité 以上のものだということであ…
新渡戸の『武士道』の第七章を読んだことがきっかけとなって、少しフランス語の véracité という言葉について調べてみた。というか、気になって仕方がなくなってしまい、調べずにいられなくなった。 Le Grand Robert の定義は昨日の記事の説明の中に織り込ん…
一昨日の記事で、veracity について、報告や話の真実性についても使われると言ったが、誤解を招かないためには補足説明が必要だ。その真実性(あるいは信憑性)は、報告者や話者とは独立に提示可能な客観的な証拠によって保証されるものではない。言い換えれ…
今日の記事は、『武士道』第七章の英語原文で veracity が使われている箇所と、その四つの日本語訳を並べただけである。それらを眺めただけでも、どの訳にも問題があることがわかるだろう。個々の箇所についての検討は明日以降の記事に譲る。 Without veraci…
新渡戸稲造の『武士道』第七章には、そのタイトルも含めて、Veracity という言葉が十一回使われている。もともとは哲学的・神学的用語で、神が人間の認識の真実性を保証することを意味したが、十八世紀以降、人間について、真実を言う人の徳性を示すようにな…
昨日引用した日蓮の手紙の直前の箇所についての植木雅俊氏による解説がとても興味深い。 この手紙には、体調が勝れない中で、心に思い浮かぶ熱情あふれる思いを、そのまま筆に託して一気に書いた様子が窺われる。その証左として、植木氏は、主語と述語の関係…
以下、『日蓮の手紙』中の植木雅俊氏による解説の摘録と日蓮の手紙の一部の引用、及びその現代語訳である。 弘安五(一二八二)年二月二十八日、日蓮は南条時光が大病で伏しているとの報を聞き、自らの病状も顧みず、筆を執って認めた手紙が「法華証明」と呼…
昨日、日曜日、午前7時から9時半までの2時間半で24キロ走った。時間も距離も自己最高記録。ランニングシューズが違うだけでこれだけ結果に差が出るものなのかと驚く。1時間走ったところで、ちょっと不思議な感覚に襲われる。このままいつまででも走り続…
『通訳酬酢』の田代和生の解説からの摘録を続ける。 一昨日の記事でも断ったことだが、上掲の書名中の漢字「酢」は正しくない。正しくは、「作」が旁である。不本意だが、以下、書名を示す際、「酢」に置き換える。 『通訳酬酢』は、「通」と「訳」との会話…
専門職としての通詞は、幾五郎が生まれるかなり以前、儒学者雨森芳洲によって大きく変貌していた。芳洲は通詞について「館守・裁判・代官と並ぶ切要な役人」(『交隣提醒』)と述べ、国の重大事にかかわる要職が商人の家庭教育頼みだったことに強い危機感を…