内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

目標を数値化すると途端に継続へのモチベーションが高まる単純な頭脳の私

三月十七日から始まった自宅待機令の直後の十日ほどは、なんの準備期間もなく始めなければならなかったオンライン授業の準備に追われたことと生活リズムの急な変化とによって日常生活のルーティンが乱され、運動不足に陥ってしまった。 これではいけないと一…

ストレスは体のどこかに反応が出てしまう

歯が痛い。もう二週間以上続いている。虫歯ではない。原因はわかっている。これがはじめてではない。いつからかもう覚えていないが、長年、歯ぎしりがひどかった。翌朝目覚めると顎がだるくなっていることで、前夜寝ている間にひどく歯ぎしりしていたことに…

末期の眼で世界を見ることができる個物として人生の残日を生きたい

この季節、ストラスブールの樹々の新緑はいつも美しい。その美しさが当たり前となってしまっていたここ数年、自転車で街を走りながら、あるいは路面電車の大きな窓から流れ行く景色を眺めながら、「ああ、今年もまたこの季節が来てくれた。なんてきれいなの…

二週間後の自宅待機令緩和措置についての独り言

フランスでは五月十一日から自宅待機令が段階的に緩和されていくことになっている。しかし、科学者たちからも教育現場からも各地方自治体からもさまざまな批判が出ている。疫学者・免疫学者・ウイルス感染学者たちからは第二の感染爆発を引き起こしかねない…

陶淵明 雑詩 其一 最後の二句「及時当勉励 歳月不待人」を詩全体の中で味わいなおす

三日前、「KADOKAWA 電子書籍全品25%引きクーポン」という宣伝文句につられて、ふらふらと四冊購入した。いずれも角川ソフィア文庫で、三冊は『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』シリーズの中の『陶淵明』(釜谷武志)『杜甫』(黒川洋一)『李白』(…

名作はやはり紙の書籍の手触りと重みと匂いを感じながら読みたい

ここ何年とフランスでも日本でも本屋に足を運ぶことがめっきり少なくなった。かつては一時帰国のたびに神田神保町の古書店をひやかして歩くのを楽しみとしていたが、ここ数年酷暑の真夏などは出かけるのが億劫になってしまった。フランスでもパリに住んでい…

「荒涼に耐へて、一すぢ懐しいものを滲じますことができれば」― 原民喜の文体について

大江健三郎は、昨日の記事で触れた『夏の花・心願の国』の解説に、出典を明記せずに原民喜が自分の理想とする文体について述べた文章を引用している。出典は、「砂漠の花」と題された短いエッセイ風の文章で1949年10月13日付の『報知新聞』に掲載されたのが…

現代日本文学の最も美しい散文家の一人である原民喜の生涯と作品を今紹介したくて

今日は朝からずっと原民喜の諸作品をあれこれ読み直し、それと並行して梯久美子著『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書 2018年)を再読しながら、すでに一応講義を終えた「近現代日本文学」の「番外編」の資料を作っていた。まだ終わっていない。 後期に…

自発的・自律的思考へと学生たちを「唆す」手段としての講義

自分がそのとき一番大切だと思っていることを何らかの仕方で授業を通じて学生たちに伝えたいと私はずっと思っていたし、今もその思いに変わりはない。極端に言えば、授業はその手段でしかない。歴史の授業であれば歴史的出来事を通じて、文学の授業であれば…

休暇であって休暇でない非常時の日常、迅速・的確・柔軟な判断と対応が日々求められる

先週土曜日から一週間の復活祭の休暇に入ったのだが、昨日「日本の文明と文化」の今年度最終講義の録音を行い、すぐに大学のサイトにアップした。四部構成でそれぞれ別々にアップしたが、総計三時間になった(休暇中にじっくり聴きたまえ学生諸君)。火曜日…

終末論的に今この時をこの場所で生きるということ

昨日の記事に提示したような平常底だけでは歴史の中に生きる個物の境位が明らかではない。ただ日々をそれとして生きるというだけでは歴史性が欠けている。昨日引用した文の直後に「我々の自己はこの点において世界の始に触れるとともに常に終に触れているの…

一切無縁の個物として日々を生きる

「平常」(びょうじょう)という禅語を西田は「場所的論理と宗教的世界観」第三節最終段落で『無門関』と『臨済録』からそれぞれ一か所ずつ引いているが、それを読んだからといって西田が「平常底」という言葉で言い表したいことがわかるわけではない。むし…

「終末論的に平常底」― 「非常時」をよく生きるための西田哲学

一昨日の記事で西田幾多郎の最後の完成論文「場所的論理と宗教的世界観」がどのような日々の中で書かれたかを瞥見した。その時期のことについて一通りの知識は何十年も前からもってはいた。今回あらためて日記や書簡を読み返したのは、西田がどんな覚悟をも…

「非常時」だからこそ『細雪』を心静かに読みたいと思うのは贅沢でしょうか

昨日の「近現代日本文学」の録音講義では、戦中、発表のあてもなく書き続けた作家たちについて話しました。特に、官憲によって「時局にふさわしくない」との理由で『細雪』の連載中止を命じられたにもかかわらず稿を書き継ぎ、自費出版の形で上巻を昭和十九…

戦争末期、最愛の長女を失うという深い悲しみの中で書かれた最後の論文「場所的論理と宗教的世界観」

西田幾多郎の最後の完成論文「場所的論理と宗教的世界観」を読み直している。これで何度目かもう覚えていない。どのような状況の中で書かれたかを示す記述を西田の日記と書簡から拾ってみた。 この論文が起稿されたのは昭和二十年二月四日日曜日であることが…

自宅待機命令の有効性を図らずも身をもって間接的に実証する

とても小さなことだが以前から一つ気になっていたことがある。 私は自宅の室内ではブラジル製のビーチサンダルを履いている。床が板張りとタイルで裸足だとちょっと冷たいからである。別にこだわりがあってブラジル製にしているのではなく、たまたま昨夏スー…

負けるわけにはいかない勝利なき戦い、あるいは誤った比喩の迷妄

今回の新型コロナウイルス禍をフランスでは為政者並びに識者たちが戦争にたとえている。その見方を前提として今の事態を考えてみよう。 そもそも、私たちは何と戦っているのだろうか。馬鹿かお前は、新型コロナウイルスに決まっているではないかと人は私を馬…

選択の時 ― ポスト・コロナの世界のために

今回のような未曽有のパンデミックによって社会生活がここまで麻痺状態に陥ることを武漢での感染拡大の発端以前に予想できていた人たちがどれくらいいるのか私は知らない。その発端からわずか四ヵ月間程で世界をここまで危機的な状況に追い込んでしまったこ…

難問にチャレンジする学生たち

授業の準備には、単なる職業的義務感からだけでなく、大げさに聞こえるだろうが(いつものことです)、哲学的な使命感をもって取り組んでいる。現在のような未曽有の危機的状況にあって、自分が最も大切だと考えていること、みなが今考えなくてはいけないこ…

根本的な問いと向き合う「千載一遇」のチャンスとしての非常時

医療、治安、政治、報道、郵便・輸送、電気・ガス・水道、農業、食品生産とその流通、その他国民の最小限の生活に必須なものに係る分野に携わっている方たち以外は原則外出が禁止されるという空前の非常事態がしだいに日常化しつつある。こんな状態から一日…

春風駘蕩、澄み渡る空気、目に染みる青空、非常時の異様な静けさの中、この街は美しい

今日は復活祭前の聖金曜日、アルザス地方では祝日扱いで、大学も含め学校はお休みになる。国の祝日である復活祭の月曜日までアルザス地方は四連休になる。復活祭がちょうどヴァカンスと重なってしまうとそのありがたみも感じられないが、今年は外出禁止令下…

実に奇妙な「夢物語」 ― 夢の記録から自己の精神状態を観察する

自宅軟禁状態が数週間も続くと、本人はしっかりしているつもりでも、傍から見るとちょっとおかしくなりかけているということはあるかも知れない。このブログは、人類が今回初めて経験する特異な状況における一人間の「貴重な」自己観察記録でもある。 外出禁…

「斬り捨て御免令」を提言する ― K先生の『陽春幽閉日記』妄想篇より

K先生は先月17日の外出禁止令発令以来『陽春幽閉日記』を毎日律義につけている。日記であるから出版の予定はない。今日の記事をこっそり盗み読みした。あの謹厳実直の権化のような先生がこんな愚にもつかないことも書くのかと余(って誰)は一驚した。以下…

「遊び」のない講義は遊具のない公園のようなものである ― K先生初のハードボイルド・サスペンス・ロマン『天才は忘れられた後に独り静かに死ぬ』(企画段階で没)より

日本のテレビは今どうなっているのだろうか。新型コロナウイルス感染拡大と緊急事態宣言の影響でコマーシャルにも、日本の得意芸である「自粛」が広がっているのだろうか。 普段、フランスのテレビは優れたドキュメンタリー以外は観ない。が、外出禁止令が発…

鬱々たる陽春の一日の暮れ方に

新型コロナウイルスの正体がよくわからないうちに急激な感染爆発が起こってしまったということがフランス政府の対策を後手に回らせてしまっているということはあるにせよ、マスク着用に関する掌返しには呆れるばかりであるし、マスク在庫払底の原因は失政に…

外出禁止令は私たちの精神活動を妨げるものではないことを実証してくれている学生たちの小論文

月曜日の「日本の文明と文化」という授業では、課題として日本語のレポートを毎週提出することを義務づけている。それは大学閉鎖になる前からずっと続けていたことであった。400~600字を原則としているが、それを超えても別に構わない。 大学が閉鎖され、教…

音読のすすめ ― 体は家の中に閉じ込められていても、心は文学の世界を遊行できる

遠い昔、はじめて大学生になった頃(こんな変な言い方をするのは、その後私の学生時代は幾多の紆余曲折を経つつ、とても長いものになるからである)から朗読が好きだった。子供のころからラジオの朗読を聴くのが好きだったのが高じて、自分でも声に出して読…

声に出して読むことで発生するエネルギーの伝導を願いつつ

昨日木曜日の近現代日本文学の録音講義は、新興芸術派と昭和十年代の文学がテーマであった。 本題に入る前に、話の枕として、先週は時間切れで言及できなかった金谷武洋『日本語と西欧語 主語の由来を探る』(講談社学術文庫 2019年 初版『英語にも主語はな…

リハーサルなしのワンテイクというスリリングな時間 ― K先生の『陽春幽閉日記』(私家版)

3月23日の講義からすべて録音し、本来の時間割の開始時間前に大学の動画専用サイトにアップするようにして二週間が経った。三コマそれぞれ二時間の授業を前後半に分けて録音するので現在十二本が視聴できるようになっている。 事前に研修を受けることもまっ…

仕事の「仕分け」の基準を与える今回の「非常時」

今日から四月。外出禁止令が発効してから半月が経った。しかし、いまだに今後の展開についての見通しは立たないままだ。そんな状態が続けば、仮に数週間後に禁止令が段階的に解除されても、すぐに平常には復せないないから、数か月先あるいは来年の予定すべ…