内的自己対話―川の畔のささめごと

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社会の道徳的再生についての「政治家」ビランの哲学的確信 ― フランス19世紀前半の三つの精神の系譜:ビラン・ギゾー・トクヴィル(10)

 

 興味深いことに、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』において、微妙な揺れ動きを通じて、貴族社会と民主主義社会の隔たりを浮き彫りにしているすべての対概念は、ビランのテキストにもすでに現れている。すなわち、栄光と成功、義務と利益、幸福と福祉―ビランにおいては「安楽」―、 服従と隷属など、これらの二項対立は「愛」と「野心」の対立の中に集約されている。
 トクヴィルによれば、貴族的な感情は、上下の相互依存からなる社会を反映したものであり、その社会において「貴族制はすべての市民を農民から上は国王に至る一つの長い鎖に結び合わせた」(『アメリカのデモクラシー 第二巻』第二部第二章)。そこでは、人々は互いに結びついている。それは、互いに顔見知りであるような小社会の中で生活しているからであり、また「互いに上下関係にある」ため、常に上位者には庇護を求め、下位者には奉仕を求められるからである。
 しかし、民主主義はこの上下の相互依存関係の「鎖」を断ち切り、「それぞれの環を分離」させる。これは、人とそれが属する社会との間のあらゆる直接的な関係の終焉であり、かつての社会構造の消滅とともに、トクヴィルが歴史的な文脈に位置づけて「貴族的」と評した感情もまた消え去る。
 他方、これはまさに「社会」の誕生であった。この「社会」とは、旧体制下では部分的にしか捉えられなかった全体性であり、一旦統一され平準化されると、自らの政治的主権以外のいかなる主権も認めようとしなくなった。なぜなら、すべての人が平等である社会において、服従を正当化する他の基準などあり得ないからである。階級秩序の消滅、すなわち君主制下で進行していた階層の平準化は、その「論理的」帰結として、現実において社会基盤の転覆へと至るほかなかった。
 1789年、王党改革派であった23歳のビランは、均一化された社会を望んではいたが、その実現が旧体制の終焉を意味することには気づいていなかった。革命によって生まれた平等主義社会にあって、ビランは、世界の階層構造が完全に解体されることを信じようとはしなかった。
 社会の崩壊を避けるためには、社会は、それを高めつつ統一する原理によって導かれなければならない。社会は、「この世のどこにもほとんど求められず、知られてもいない」(1820年12月4日)「公益の善 bien public」を取り戻さなければならない。新たな制度や法律以上に、社会には真の道徳的再生が必要である。もし復古があるとするなら、それは哲学的なものでなければならない。
 これが「政治家」ビランの哲学的確信であった。しかし、演説には不向きだと自分でも認めていたその細い声は同時代の誰の耳にも届くことなく、1824年7月20日、パリのバック通りの自宅で57歳8か月の生涯を終える。葬儀は3日後の23日に聖トマス・アクィナス教会で執り行われた。パリの名だたる知識人たちが参列したと言われているが、そのなかにギゾーの姿もあったであろうか。

 この連載「フランス19世紀前半の三つの精神の系譜:ビラン・ギゾー・トクヴィル」はここで一区切りとする。ここまでは、「持ち駒」でなんとかなったが、ギゾーとトクヴィルについてはそうはいかない。
 第二部では、ギゾーの生涯、思索、教育、そして政治的活動を辿ることになるが、これはいつ開始できるか、現時点では、見通しが立っていない。今は手元にあるギゾー関係の文献をぼちぼちと読んでいるところである。
 ギゾーの伝記的事実に関しては、Gabriel de Broglie, Guizot, Perrin, 1990 に主に依拠し、Laurent Theis, François Guizot, Perrin, 2019 (1re édition, Fayard, 2008)によって補完する。その政治思想については、Pierre Rosanvallon, Le moment Guizot, Gallimard, 1985 がもっとも重要な参考文献である。
 トクヴィルについては、途方もない数の参考文献があり、それらを通覧することなど、素人の私には不可能である。手元に集めてある文献だけでも20冊は下らない。知的評伝に限っても、André Jardin の Alexis de Tocqueville. 1805-1859, Hachette, 1984 は言うまでもなく、その後に出版された Lucien Jaume の Tocqueville. Les sources aristocratiques de la liberté (Fayard, 2008)、Jean-Louis Benoît の Tocqueville. Un destin paradoxal, Perrin, 2013も参照しなくてはならないし、そこにさらに Françoise Mélonio がガリマール社から昨年12月に刊行した浩瀚な伝記が加わるから、それらを一通り読むだけでも一年はかかりそう。
 思想史的には、アングルを一つに限定し、焦点を絞ってアプローチする。そのために、ビランの政治思想を辿るときに依拠した Agnès Antoine が2003年に刊行した L’impensé de la démocratie. Tocqueville. La citoyenneté et la religion, Fayard をまずは参照するつもりである。