内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

あるときフランス語版言語生成システムが私のなかで「おのずから」稼働し始め、今も成長と進化を続けている

 昨日は「日本思想史」の前期最後の授業であった。ところが、残念なことに、説明が尻切れトンボに終わってしまった。
 「おのずから」と「みずから」との関係というそれ自体かなり繊細な説明を要するテーマだったこともあるが、授業半ば、大半の学生たちが私の説明について来られなくなっていることがわかり、言葉をできるだけ易しくし、両語の用例をいくつか挙げながら、説明を繰り返したせいで、テキスト読解用に準備してきた松尾芭蕉の『笈の小文』の冒頭と九鬼周造の「人生観」(1934年)と「日本的性格」(1937年)とからの抜粋というそれぞれA4版で半頁ほどのテキストを読む時間がまったくなくなってしまった。
 そのような中途半端な形で最後の授業を終えなくてはならないことを学生たちに詫びると、先日話題にしたクラストップの女子学生がやおら手を上げて、「先生、「おのずから」と「みずから」とが協働関係にあるような具体例を一つ挙げてくれませんか」と要求してきた。実は、このような要求は想定内で、その回答は準備してあった。ただ、時計を見るとあと五分しかない。しかし、この教室の次の時限の授業は先週が試験ですでに終了しているから、教室は空いている。学生たちにちょっと授業時間を超過すると断ったうえで、その具体例として私自身のフランス語習得経験について話し始めた。
 すると、それまではちょっと途方に暮れたような顔をしていた学生たちが俄然集中して私の話に耳を傾け始めた。
 「私がフランス語を学び始めたのは、もう27歳になる年でした。」そう言っただけで学生たちは互いに顔を見合わせ少し驚いたような表情になった。たしかに、その歳で零から学び始めて私が現在一応到達しているレベルにまで上達できるケースはあまりないだろうと、これは自負している。
 もちろん発音はお世辞にも褒められたものではないし、文法的にも完璧からは程遠い。話題によっては、語彙の貧しさゆえにうまく話せないこともある。それでも、ノートやメモなしで二時間の授業をすることや、簡単なメモだけで30分の研究発表をすることや、学生や聴衆からの質問にそつなく答えることは難しくないほどにはフランス語を自由に操ることができるようになっている。
 フランス語を学び始めてから今までにすでに40年近い年月が経っているが、その半ばである決定的な変化が自分の中に起こったことがあり、それ以前とそれ以後とに自分のフランス語習得過程を分けて考えることができる。
 その変化とは次のようなものであった。その変化以前は、フランス語で話すことは、あたかもレゴを組み立てるようなもので、手持ちの語彙を文法規則に照らし合わせて組み立てる作業であった。つまり、フランス語は私の言語表現能力において外在的な位置にとどまり、そこへ毎回「みずから」アクセスする必要があった。ところが、あるときから、フランス語の文章が私の頭の中で「おのずから」生成されるようになったのだ。言い換えると、脳内にフランス語版言語生成システムが形成され、それが自動的に稼働するようになったのだ。
 つまり、「みずから」学び始めたフランス語が「おのずから」文章を生成するシステムへと私において成長したのである。「みずから」が「おのずから」を可能にしたのである。
 とはいえ、あなたたちがよく知っているように、このシステムにはまだいくつもの点で脆弱性があり、つねに安定的に稼働するわけではない。しかし、それらの脆弱性のうちのいくつかは改善可能であり、今なお進化の過程にある。まさにそのことが「みずから」フランス語を学び続ける私の意志を支えているのである。
 「私が教師としてあなたたちに望むことは、このように成長と進化を続ける言語生成システムの日本語ヴァージョンがあなたたちのなかに形成されることです」とこの説明を締めくくった。
 この話を聴き終えた学生たちの目の輝きからして、授業の失敗は十分に償われたと思う。それどころか、彼女ら彼らにちょっと早めのささやかなクリスマス・プレゼントを手渡すことができたかなと、いささかの喜びを感じながら教室を後にすることができた。