今日は昨日よりさらに気温が上昇し、日中は五度まで上がった。雪がいたるところで解けだす。車の通りの少ない道路上には大きな水たまりできているところが多く、それらを避けて通るのは難しい。歩道上は、一旦踏み固められた雪の表面が解けはじめて滑りやすくなっており、とても走れたものではない。路面の状態に応じて、走ったり歩いたりの繰り返し。運河を覆っていた厚い氷も流氷化していた。
先週、発売されたばかりの『畠中尚志全文集』(講談社学術文庫)の電子書籍版購入し、毎日読んでいる。もし日本にいたら、発売を知ると同時に書店に走り、紙版を購入したことだろう。スピノザの諸著作の岩波文庫版の翻訳者として、高校時代から名前は知っており、スピノザを読みはじめたのもまさに畠中訳によってであった。畠中訳の岩波文庫は、スピノザの諸著作だけでなく、ボエティウス『哲学の慰め』、『アベラールとエロイーズ――愛と修道の手紙』もかつて日本にいたころは所有していたが、今はもうない。『エチカ』の電子書籍版のみ辛うじて持っている。岩波少年文庫『フランダースの犬』も畠中訳だとは知らなかった(現在の同文庫には別の訳が収められている)。
本書は三部に分かれ、第Ⅰ部が岩波文庫版それぞれに付されていた訳者解説、第Ⅱ部が論争文二本、第Ⅲ部には折に触れて書かれた随筆十四本が収められ、それらに続いて、畠中氏の長女である畠中美奈子氏(東北大学名誉教授、ドイツ文学専攻)による滋味溢れる思い出の記「思い出すままに」が置かれ、本書の編者である國分功一郎氏による委曲を尽くした渾身の解説「ある日本のスピノチスト」によって本書は締め括られている。
國分氏の解説のおかげで、畠中尚志の稀有な学究としての生涯についてはじめて知ることができた。深い感動とともに一気に読み終えた。氏に心から感謝したい。
その後、畠中氏の随筆を読み始めた。どれも実に味わい深い。一つだけ例を挙げよう。「仰臥追想」は、東大法学部の学生であった三十年前とその前年高校学校に在学中に発症した脊椎カリエスのことから話が始まる。その後の長く困難な療養生活の経過、その中で『エチカ』をどのように読み、ギブスベットに一日の大半を固定されたままの日々の中でどのようにスピノザの諸著作の訳業に取り組んだかなどについて、感情に走ることも流されることもなく抑制された筆致で語られていく。しかし、まさにそうであるからこそ、スピノザへの深い敬愛、その諸著作の邦訳と伝記を世に送ろうという揺るぎない決意、おそらくは度々氏を意気阻喪させたであろう難しい病苦と根気よく向き合っていく持続する意志がひしひしと伝わってくる。
私が言うのもまことにおこがましいことは承知の上で言えば、この拙文をお読みになって畠中尚志という稀有な学究にご関心を抱かれた方がいらっしゃったら、是非本書を手にとってお読みになってください。