二日目は、午前中に四つ発表があった。すべて日本からのオンラインでの発表で、それをナンテールの会場に来たわずか六人で聴くという、ちょっと奇妙な形態になった。
接続状態がよくなかったり、発表者がZOOMの操作に慣れていなかったりで、途中で音声が途切れたり、こちらの声が向こうには聞こえていなかったりと、小トラブルが頻発し、質疑は主にチャットで行うという、なんとも中途半端なやりとりに終始した。
発表内容そのものに関しても、まあなんと言ったらよいのか、あくまで私個人にとっては、という限定付きではあるが、「ああそうですか」という以上の感想は出て来ない。わざわざ会場に来て聴かなくてもよかった。
午後は、会場での三つの発表。最初の発表については、もう少しフランス語を勉強してから発表してください、としか言いようがない。二つ目は、学部レベルのレポートの域を出ない。三つ目はさすがに内容豊かではあった。が、この発表者はいつもこうなのだが、あれこれ詰め込みすぎで、それぞれの論点の展開が不十分なままにあたふたと締め括られる。なぜもっと論点を絞らないのかといつも思う。
というわけで、今日のすべてを一言でまとめると、「ダメなものはダメ」である。ほんとうに「お疲れ様」でしたよ。
今日一番楽しかったのは、シンポジウム後にパリのサン・ラザール駅近くのブラッスリーで、若手研究者たちとしたおしゃべりだった。こちらのほうが発表よりはるかに面白く、刺激的であった。
ただ、今回で四回目となった日本哲学についてのシンポジウムもこのままでは続かないとの危機感を私が抱いていることは彼らに伝えておいた。明らかに尻すぼみ傾向にあり、発表の質も下がっている。しかし、私はもうすぐ身を引く立場である。彼らがこれから守り立てていかないことには、立ち行かなくなることは目に見えている。
エラい先生をお招きしてアリガタイお話を拝聴するだけではもちろんだめだが、ニホンテツガクに引っ掛かっていればなんでもOKという姿勢では、遅かれ早かれ、日本哲学に遠巻きながら学問的関心を持ち始めていた欧米哲学研究者たちも離れていくだけである。そもそも、彼らは日本哲学など必要だと考えていないのである。そんな「内向的な」研究者たちを振り向かせるだけでなく、彼らに衝撃を与えるくらいの研究であってはじめて、「日本哲学」という看板を掲げる資格があるのだ。
若く優秀な研究者たちにはこれくらいの覚悟をもって学問に取り組んでほしいと老生は切に願っている。彼らのための陰ながらのサポートは惜しまない。