内的自己対話―川の畔のささめごと

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心を神の探求へと向かわせる内観的療法としての〈祈り〉と〈瞑想〉

 Écrits spirituels du Moyen Âge の 編訳者 Cédric Giraud による Introduction の続きを少し読んでみよう(この Introduction の縮約版と収録作品の抜粋集をこのリンク先で読むこともできるし、そのPDF版を無料でダウンロードすることもできる)。

  À la fin du XIe siècle, le moine Anselme de Cantorbéry, alors abbé du Bec, proposa un recueil original de compositions qu’il nomma Prières et méditations, un titre qui rapproche significativement deux exercices spirituels pratiqués de longue date par les chrétiens. Anselme détache prière et méditation de leur traditionnel support biblique et met ces exercices au service de l’introspection. Un nouveau rapport à soi s’invente alors, puisqu’à l’école d’Anselme l’homme apprend à rechercher Dieu au moyen d’un genre littéraire inédit, la méditation, une forme textuelle courte qui illumine l’intelligence tout en enflammant la sensibilité.

 Cédric Giraud は、カンタベリーのアンセルムスが『祈りと瞑想』(Prières et médiations)と題された文章集の作成によって中世キリスト教霊性史のなかで果たした決定的に重要な役割を強調する。アンセルムスは、祈りと瞑想というキリスト教に伝統的な霊操(exercices spirituels)を聖書から切り離し、内観(あるいは内省 introspection)の方法とした。それによって自己に対する新たな関係が創出された。つまり、瞑想(méditation)という新しい文学ジャンルの創始とともに、自己の内部における神の直接的な探求が始まったのである。
 この文学ジャンルとしての瞑想とは、短いテキストという形を取り、それが知性に光をもたらし、心に熱誠を宿らせる。このテキストを穏やかな精神状態で集中して読誦することが霊操としての瞑想なのである。
 私見では、この瞑想という文学ジャンルの創始は、中世キリスト教神学史における方法論的大転回であったばかりでなく、ヨーロッパ精神史全体にとっても画期的な企図であり、その衝撃は、哲学史における二十世紀の言語論的転回の衝撃をも上回るものではないかと思われる。
 Médiation の動詞形は méditer である。その語源的意味は、「治療を施す」という医学的な意味である。霊操としての médiation は、したがって、心を神へと向かわせる内観的療法と定義することができる。この内観法としての méditation が Monologion と Proslogion というアンセルムスの代表的な神学的著作を方法論的に準備した。