内的自己対話―川の畔のささめごと

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「流浪の看護師」― 西村ユミ『語りかける身体 看護ケアの現象学』読中ノート(5)

 看護師AさんのTセンターでの四年間の看護経験全般についての語りの後、その間にプライマリーナースとして受け持った、あるいは受け持っている三人の患者それぞれとの関わり合いについての大変内容豊かな聞き書きが続きます。
 本書では、その三人についてそれぞれ分けて記述されていますが、その理由は、Aさんがそれぞれの患者と生きた時間は異なっており、かつインタビューの時点でのそれぞれの患者との関係も異なっているからです。最初に受け持った住田(本書での患者名はすべて仮名)さんについては「すでに気持ちの整理がついている」状態にあり、次に受け持った横井さんについては、インタビュー直前に亡くなったばかりで、「まだ気持ちの整理がついておらず、感傷的になってしまう」状態で、インタビュー時に受け持っていた村口さんとは、「新たな発見が続いている」状態にありました。
 それぞれの患者の状態・身体能力も異なっており、それらについての記述を読むと、遷延性植物状態患者というカテゴリーにひと括りにされてしまう患者たちの間にも多様な「個性」があることがわかります。看護師たちは、それぞれに異なった個性をもった患者とともに長い時間を過ごしていく中で患者との関係を形成し、試行錯誤を繰り返しながら交流の仕方を見つけていきます。しかし、その仕方は、患者とプライマリーナースとの間で形を成していくもので、他の看護師が、あるいは患者の家族であってさえ、その交流の形をそのまま真似ることができないものです。
 プライマリーナースだけが感じ取ることができる微妙な差異・変化が患者との交流の成立には決定的に重要で、それらの差異・変化はしばしば言語化するのが難しく、Aさんも決して断定的な言い方をせず、より適切な表現を探しあぐねている場面がたびたび見られます。
 Aさんの語りは、具体的な細部の描写において生彩に富んでおり、その中に見られる独特な表現については、本書第三章の細密な現象学的解釈を読むことでのその意味の理解を深めることができます。今日の記事では、私が特に強く印象づけられた、Aさんと彼女が最初にプライマリーナースとして受け持った患者住田さんとの関係の変化についてのみ触れるにとどめます。
 まず、住田さんがどのような状態にあったかを見ておきましょう。
 住田さんは、五〇代の男性で、約二〇年前、歩行中に後ろから来た車にはねられて受傷、直後より昏睡状態となり、搬送された病院で多発外傷、脳挫傷、および開放性頭蓋骨骨折と診断された。急性期を脱した後に、かろうじて医師の指示に従う反応が見られたが、痙攣発作を頻発し指示に従う反応がまったくなくなった。
 受傷後約五年後にTセンターへ入院、入院時の神経学的所見は、覚醒することはできるが命令に応じることができず、意思の表出は見られない。痛覚刺激に対しては僅かに反応できた。把握反射とバビンスキー反射が認められた。脳萎縮が広範囲に見られ、第四脳室の拡張は著明であった。脳血流は小脳から左頭頂葉にわずかに保たれているのみであった。
 住田さんは、このように意識障害スコアリングのきわめて低い患者で、かつ自動車事故による外傷性後遺症以外にも心筋梗塞水頭症・糖尿病など七つほどの疾患をかかえており、コミュニケーションどころか、身体的な状態を安定させることが第一優先という状態でした。
 その住田さんとのコミュニケーションの手段をAさんは模索し、「視線がピッと絡む」瞬間が出て来て、住田さんとコミュニケーションが可能になったとほぼ確信するに至ります。ところが、食道癌に侵されていた住田さんがあるとき大痙攣を起こしてしまい、それ以後、コミュニケーションが遮断されてしまうというショッキングな経験をAさんはします。
 この時の経験をAさんは詳しく語っているのですが、そのごく一部だけを引きましょう。

具体的にどんな感覚って言われても、本当になんだろう、文学的なっていうか変な話になってくるけども、底なし沼じゃないけどなんか、なんかこう泉を覗き込んだときのような感覚、真っ暗でその先に何もないような気がしたんですよ。……本当にそう、普通に今までと同じように話しかけたけれども、なんかね目が真っ暗だったんです、目の奥が。

 Aさんは、自分が知っていると思っていた人が、大痙攣を経てまったく違った人になってしまい、どうコミュニケーションをとったらいいのかわからなくなってしまったのです。そして、住田さんはその状態から回復することなく、Aさんの最初のプライマリーナースとしての看護経験は、住田さんの「死亡退院」という形で幕を下ろします。そして、次にプライマリーナースとして受け持つ患者が入院してくるまでの二ヶ月間、Aさんは、特定の患者につかない「流浪の看護師」(Aさん自身の言葉)として過ごすことになります。