内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

日本人教師による日本語のみの日本文化・文明講座

 九月から新しいカリキュラムになり、その中に日本語の語学授業以外で日本語だけで行われる講義が初めて導入されました。学部三年生(フランスの大学では学部最終学年)の一コマ一時間だけですが、弊日本学科創設三十二年を経て初めての試みであります。
 新カリキュラム案を昨年同僚たちと練っているときには、二時間という枠も検討されたのですが、多分学生たちの集中力がそんなに続かないだろうという理由で一時間にしました。そのときからこの講義は私が担当することが決まっていました(当時、専任の中で日本人は私だけでしたから、議論の余地もありませんでした)。
 この講義のタイトルは « Civilisation et culture japonaise » 、時代も分野もアプローチの制約もなにもなく、担当する教員が自由に方法と内容を考えることができるようになっています。初めての試みなので、最初は当然試行錯誤の連続であろうとの見込みからこのように決めました。というよりも、すべて日本語で行うという条件以外は何も予め決めなかった、と言ったほうがより適切ですね。
 講義は、毎週金曜日午前十一時から正午まで。先週までで四回終えました。
 初回は、学生たちの聴解能力がどの程度か予め測りかねたので、日本の大学生向けの、歴史と現在との関係に関する日本語のテキストを与え、そのテキストについて四十分間解説し、その直後に理解度を確かめるために、私が日本語で話した内容の要旨とそれについての意見をフランス語で書かせました。
 出席者は二十五名。大半の学生は、まあまあ、あるいはかなりよく、内容を理解していることが彼らの書いた文章を読んでわかりました。ただ、「先生の言っていることはほとんど聞き取れませんでした」と正直に書いてくる学生も一人二人いました。
 しかし、眼の前にテキストがあるとどうしてもそれに頼ってしまうのは否めません。そこで、第二回目からは、理解の手がかりになる言葉と映像をプロジェクターで映すか、一言二言キーワードを板書するだけにして、あとは口頭で説明するようにしました。選んだテーマはラフカディオ・ハーン。学生たちはこの作家について何も知らないだろうと想定していたのですが、中にはすでに仏訳で『怪談』を読んだことがある学生もいたりして、こちらの予想以上にハーンという作家の作品と生涯に関心をもってくれたようでした。この二回目からは、丸々一時間日本語で話し、要旨・感想・意見は、授業後にメールで送らせるようにしました。
 聴解力を高めるという目的ももちろんこの講義にはありますが、私としては、それ以上に、日本語で提示されたテーマとその展開そのものに関心を持ってほしいと思いながら、毎回準備しています。
 第三回目は、こちらの学生たちの関心も高いであろう、日本の学生たちの就活について話しました。予想通り、フランスとの違いに驚く学生が少なくありませんでした。真面目な話ばかりでは息が詰まるだろうからと、少し楽しい要素も盛り込もうと、採用試験最終面接の場面をコミカルに描いたテレビドラマを見せて、面接に望む学生たちの服装の細部に注意を促したりもしました。授業後に送られてきた感想では、日本の就活システムを絶賛する学生もいれば、そのシステムから自由になれない日本の学生たちの大変さを思いやる学生もいました。将来日本で働きたいと思っている学生たちの中には、自分たちのような外国人学生はどのように就活すればいいのかと困惑していました。
 先週金曜日の講義内容については明日の記事で話題にいたします。