ギヨームの操作時間という概念は、時間性を失った空間的表象に再び時間を取り戻させる。それだけではなく、言語は己自身の生成の操作時間に自らを関係づけることができるという発想は、バンヴェニストの言語理論に基礎づけを与えるものでもある。
言語は、発話行為において用いられる指標記号によって、己自身の実行過程に自らを関係づける。まさに言語行為が実行されている瞬間へと自らを関係づける。発話行為の純粋な現前へと自らを関係づけるこの能力は、バンヴェニストにとって、chronothèse と一致している。
この chronothèse とは、ギヨームによれば、« opération de pensée consistant à fixer des images planes du temps identifiées par l'unité de mode des formes composantes » (Temps et verbe, p. 23) である。つまり、一定の様態において用いられる構成要素群の統一性によって同定された時間の平面的イメージを固定化する思考の操作のことである。この操作と言語行為が自己現前へと己を関係づける能力とが一致しているというのである。
この一致は、発話行為の純粋な現前へと自らを関係づける能力と、私たちがもつ時間の表象の起源との一致でもある。この表象が時間との関係の軸をなす。
ところが、あらゆる心的操作、したがって言語活動中のあらゆる思考が操作時間を内含しているとすれば、現に実行中の言語行為の瞬間への関係づけにも、ある一定の時間が内含されていることになる。そして、chronothèse は、それ自身のうちに或る事後的時間、思考そのものにごく僅かであれ遅れた時間をも含んでいることになる。この事後的時間が、発話行為の「純粋な現前」の中に〈ずれ〉あるいは〈遅れ〉を導入する。
以上、アガンベンの説明に補足を加えながら、ギヨームの操作時間という概念の理解に努めたが、まだよくわかったとは言えない。明日の記事では、小活字で組まれた説明部分の残りを最後まで読み、理解の努力を継続しよう。