昨日の謡の稽古に参加してあらためて思ったことは、今さらなのだが、言葉の理解にとって、テキストを声に出して読むことがいかに大切かということだった。言葉の生きたリズムを自分の体で感じるには、眼でテキストを追っているだけでは駄目なのはもちろんのこと、ただ人の声を聴いているだけでも十分ではない。やはり自分で声に出して繰り返し誦んでみることではじめて、言葉ととともに情景・情感・事物が生動するようになる。
というわけで、古代文学史の授業でも万葉集を学生たちに音読させることにした。今日の授業は時間がなくてできなかったが、来週から始める。